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今泉 定助(いまいずみ さだすけ、文久3年2月9日(1863年3月27日) - 昭和19年(1944年)9月11日)は、宮城県白石市出身の神道思想家。 神宮奉斎会会長。日本大学皇道学院院長。東洋文化研究所講師。 == 経歴 == * 文久3年(1863年)2月 仙台藩家老片倉家・家中今泉伝吉の三男。現在の宮城県白石市・白石城下桜小路の武家屋敷で誕生。 * 明治7年(1874年) 白石神明社・佐藤広見の長女スミヨとの養子縁組により、佐藤定介となる。(明治16年(1883年)頃結婚、明治17年(1884年)長女せん誕生、明治18年(1885年)次女なか誕生、明治23年(1890年)離縁) * 明治15年(1882年)9月 東京大学文学部古典講習科入学、明治19年(1886年)卒業。 * 明治20年(1887年)4月 東京府中学校教員。 * 明治23年(1890年)11月 國學院(現・國學院大學)講師。 * 明治24年(1891年)9月 共立中学校校長。明治27年(1894年)に城北中学校校長など歴任。 * 明治38年(1905年)9月 神宮奉斎会・宮城本部監督、明治41年(1908年)宮城本部長。 * 大正7年(1918年)3月 皇典講究所理事。 * 大正10年(1921年)5月 神宮奉斎会会長。 * 昭和13年(1938年)2月 大日本運動常任顧問。 * 昭和13年(1938年)4月 日本大学皇道学院開校、学院長就任。 * 昭和15年(1940年)8月 財団法人皇道社創立、総裁就任。 * 昭和19年(1944年)9月11日 帰幽。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「今泉定助」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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