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今西家住宅(いまにしけじゅうたく)は、奈良県橿原市の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている今井町にある歴史的建造物で、公益財団法人十市県主今西家保存会により保存維持管理されている。東京大学工学部建築学科による町屋調査を経て、昭和32年(1957年)6月18日に国の重要文化財に指定され、慶安3年3月22日の記がある棟札〔上棟時の年号や施主名や大工棟梁を初めとする施工関係者の名を墨書きして棟上げのとき棟木に打ちつける木札〕が重要文化財の附(つけたり)指定とされた。その後文化財保護法により根本修理に着手することとなり、奈良県教育委員会が今西家から委託を受けて昭和36年3月に起工し、同37年10月に竣工した。 ==概要== 戦国時代の構造様式を残す建造物で慶安3年(1650年)に7代目当主今西正盛によって裁判を行うために改築された陣屋〔武士身分の今西正盛によって自治都市の裁判所として普請されたことから民家ではなく陣屋である。平面形式の半分が土間であり、お白州として使用していた。また、本建物の西に牢屋が接続していた。〕であり、住宅〔延宝7年(1679年)に今井町が天領になり、今西家は武士の身分を停止され町人身分になって民家となるが、依然として江戸時代末期まで簡単なお裁きが行われていた。〕で、別名「八つ棟」(やつむね)または「八棟造り」と呼ばれている〔八棟造りには一定の形式というものがなく、強いて似ているところがあるとするなら装飾的な破風が屋根に多くつけられていることである。伊勢の射和の富山家や小田原宿の外郎家も八棟造りと名所図会などに描かれている。今西家では屋根の妻側に破風を二重に重ねるので「重ね妻造り」ということもいえる。それだけ個性的で威風堂々とした破風である。また、旧今井町役場資料によると織田信長が本陣を布いた際に「八つ棟」と名付けたという説もある。〕。また、天正3年(1575年)、織田信長本陣となり、土間をお白州に見立ててお裁きが行われる陣屋となった。その折に信長は褒美として様々な物品を下賜し、今西家を眺め「やつむね」と唱えて本陣を後にしたことが旧今井町役場の資料に残っている。 現在の今西家住宅は、1650年の改築以前1560年代に今井郷の西端の要塞として櫓 (城郭)及び住居が築かれていたことから2度目の普請であるが、あたかも西の天守〔本町筋と御堂筋に跨って建設されていることは外敵を威圧し防御する目的を負うとともに本建物をより大きく見せている。また、改築前1560年代の本建物は軍事が目的であり、今西家の身分が武家であったことから城もしくは櫓である。〕といった堂々たる風格を現していた。 今西家住宅北側の道路の本町筋では、住宅建物だけが北側の道路に突出していて、東西両端で道が大きく南に屈曲していて、前方の見通しが悪く、現在のように自動車が頻繁に通る都市としては不適当な町並である。今西家の前を通る道路は、この角で折れ曲がって小さい枡形を形成し、二階の窓は町内の道を真っ直ぐに見通す位置につくられている。その機能も意匠も物見櫓とよく似ている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「今西家住宅」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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