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今里(いまざと)は、大阪府大阪市東成区にある大阪市営地下鉄今里駅および生野区にある近鉄今里駅周辺の地域名称。 ==概要・歴史== 狭義にはかつての東成郡大今里村・西今里村・東今里村にあたる東成区中部を指すが、広義には東成区と生野区にまたがった地域を指す。現在の町名では、東成区大今里(1 - 4丁目)・大今里西(1 - 3丁目)・大今里南(1 - 6丁目)・東今里(1 - 3丁目)および生野区新今里(1 - 7丁目)がある。 この地はかつて室町時代の頃に新開荘(しんかいのしょう)と呼ばれた荘園の一部であり、さらに平安時代まで遡ると玉造江とよばれた荘園の一部地域であった。新開荘は1594年(文禄3年)の太閤検地の際に一旦廃止され、鴫野・天王田・左専道・永田・中浜・本庄・大今里・西今里・東今里・深江といった村に分割された。 1889年(明治22年)4月の町村制施行により、大今里村と東今里村は深江村と合併して東成郡南新開荘村の大字となり、西今里村は古屋敷地・中道村・森村・中浜村・本庄村と合併して東成郡中本村の大字となった。1912年(大正元年)10月に中本村が町制を施行して中本町となり、1916年(大正5年)1月に南新開荘村が神路村に改称した。なお、同じ日に北新開荘村も城東村に改称している。神路の名は暗越奈良街道が神武東征のルートにあたるとの伝承に由来する。 1925年(大正14年)4月の大阪市第二次市域拡張の際に両町村とも大阪市に編入されて、東成区大今里町・西今里町・東今里町となった。1927年(昭和2年)の大阪市電鶴橋線敷設および1934年(昭和9年)の今里ロータリー設置(後述)を契機に周辺は一気に市街化していった。 大阪市編入後の1938年(昭和13年)に大今里北之町・大今里本町・大今里南之町・新今里町の町名が追加された。なお、大今里南之町の大半と新今里町はもと東成郡小路村の一部にあたり、ここに位置する近鉄今里駅は小路村の大字のひとつであった片江の駅名で開業している。小路村も第二次市域拡張の際に大阪市に編入されており、1929年(昭和4年)には近鉄今里駅の南方に今里新地ができ、市街化が進んだ。 1943年(昭和18年)には生野区が新設され、新今里町が生野区の所属となった。1970年(昭和45年)に東成区が、1973年(昭和48年)に生野区が現行住居表示を実施し、現在に至る。 戦中戦後にかけて、5代目笑福亭松鶴、4代目桂米團治らが居住し松鶴の自宅「楽語荘」を中心に活動したり、若き日の6代目笑福亭松鶴、3代目桂米朝、5代目桂文枝、3代目桂春團治らの修業の地でもあるなど、今里界隈は戦後の上方落語にゆかりが深い。 また、浪曲界で一世を風靡(上方演芸の殿堂入り)した冨士月子によって、1930年(昭和5年)、今里に寄席二葉館が新築され、浪曲・落語・漫才等の演芸常設館として、後進の育成に当った地としても知られる。 大阪の五大遊郭のひとつとして、天神祭・住吉祭に並ぶ大阪三大夏祭りの一つ、愛染まつりの宝恵かごパレードの主役は今里の芸妓が務めていたが、高齢化により一般女性の参加者に切り替えられた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「今里 (大阪市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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