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今里 博(いまさと ひろし、1896年9月24日 - 1942年11月11日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 == 経歴 == 長崎県出身。今里与吉、マン夫妻の息子として生れる。大村中学校を経て、1917年(大正6年)11月、海軍兵学校(45期)を卒業。1918年(大正7年)8月、海軍少尉任官。海軍水雷学校高等科で学ぶ。 1924年(大正13年)12月、金剛分隊長となる。その後海軍潜水学校乙種学生、呂号第十八潜水艦乗組、伊号第五十一潜水艦水雷長、第二十三駆逐艦水雷長などを経て、1928年(昭和3年)12月、呂号第二十七潜水艦長に就任。呂号第五十三潜水艦長に転じ、1929年(昭和4年)11月、海軍少佐に進級。 潜水学校で甲種学生として学び、1930年(昭和5年)6月、呂号第五十九潜水艦長に就任。第1潜水戦隊参謀、伊号第五十八潜水艦長、呉鎮守府付、沼風駆逐艦長、伊号第一潜水艦長などを歴任し、1935年(昭和10年)11月、海軍中佐に進級し神威副長に就任。 1936年(昭和11年)12月、横須賀防備戦隊参謀となり、第12戦隊参謀、第3潜水戦隊参謀、第4水雷戦隊参謀、横須賀鎮守府付などを歴任。1938年(昭和13年)5月、千代田艤装員に発令され、兼臨時佐世保防備戦隊参謀、千代田副長、第24潜水隊司令を経て、第20潜水隊司令に就任。1940年(昭和15年)11月、海軍大佐に進級。1941年(昭和16年)8月、第1潜水隊司令となり太平洋戦争を迎えた。 1942年(昭和17年)2月、第2潜水隊司令に転じ、佐世保鎮守府付、連合艦隊司令部付を経て、同年8月、報国丸艦長となる。インド洋を中心に通商破壊に従事。同年11月、オランダのタンカー「オンディナ」(6,341総トン)とその護衛にあたっていたイギリス海軍(植民地海軍)掃海艇「ベンガル」との交戦により報国丸が沈没した際に戦死。海軍少将に任ぜられた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「今里博」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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