|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 仏 : [ほとけ] 【名詞】 1. Buddha 2. merciful person 3. Buddhist image 4. the dead ・ 身 : [むくろ] 【名詞】 1. (dead) body 2. corpse
仏身 (ぶっしん、Skt:buddha-kaaya、बुद्ध काय)とは、仏の姿をいう。 == 成立 == 釈迦の入滅という現実は、弟子たちの間にいろいろの問題を提起したが、その中でも、仏の身体をどう考えるかということは、一つの大きな問題であった。すなわち、人格信仰の問題である。 釈迦在世中は、現前に悟りを開いた仏が生身として存在しているから、人々はこの仏に聞きそれに対処できた。弟子達はこの生身(なまみ)の釈迦に頼って生きていた。このような人々に対して、釈迦は在世中、しばしば「肉身をもった仏にたよってはならない」「仏は法をさとったものであるから、法こそ真実のよりどころである」と弟子たちをさとしていた。しかし、眼前に仏を見ている人々にとっては、理屈ぬきにして、その仏に頼ることは仕方のないことである。釈迦の入滅という事実は、大きな問題を弟子たちの間に惹きおこしたのである。 この入滅の事実を見て、弟子たちは在世中の釈迦の言葉「法をよりどころとせよ」を改めて考えることとなった。そこで、釈迦の教えた「法」を通じて釈迦自身(仏)をみようとした。「法」を通し、語られた教えの中に肉身の仏をみようとしたのである。そこでまずあらわれたのが、釈迦の生きておられた現実の身生身(しょうじん)に対して不滅の身である法身(ほっしん)が求められ、それが二身説としてあらわれた。この時、すでに「法身」が永遠不滅の身であり、現実の「生身」は人々を救うために人間に応えて現われた「応身」であると考えられた。 この場合、法身(dharma‐kaaya、धर्म काय)は宇宙的一般者とでもいいうるような「法」そのものを意味し、後には「理法身」といわれるようなもので、宇宙身としての道理そのもの、真理そのものであると考えられる。そのような法が具体的な活動態としてあらわれるのが応身(nirmaaNa-kaaya、निर्माण काय)であり、それは後に「化身」(けしん)ともいわれ、また「応化身」ともいわれ、法が具体的な姿で人々を救い導くために働く姿である。したがって、人間もしくは人間以外として、応化身の働きはは広い領域で考えられた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「仏身」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|