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仙台市立広瀬小学校(せんだいしりつ ひろせしょうがっこう)は、宮城県仙台市青葉区下愛子字二本松にある公立小学校。 学制にもとづき1873年に愛子小学校として設立され、町村合併により広瀬村が生まれたとき広瀬小学校に改称した。学区は愛子東のほとんどと、愛子中央の一部、下愛子の一部で、卒業後はほとんどが広瀬中学校へ進学する。 ==歴史== 1872年(明治5年)に発布された学制にもとづく最初の小学校の一つで、1873年(明治6年)6月21日に愛子小学校として設立された。学区は第7大学区第1中学区第22小学区と区分され、上愛子村と下愛子村の児童を通わせた。場所は上愛子の蛇台原で、当初の教師数は3、生徒数は120人であった〔『宮城町誌』本編改訂版、393頁、402-403頁。〕。 1889年(明治22年)に町村制にもとづく広瀬村が成立すると、愛子小学校広瀬小学校と改称した。広瀬村には他に旧作並村と熊ヶ根村をカバーする作並小学校、上愛子村に設けられた上愛子小学校、郷六村に設けられた郷六小学校があったが、これらはやがて広瀬小学校の下の分教場に格下げになった〔『宮城町誌』本編改訂版、393頁、403-404頁。〕。現在地への移転は1928年(昭和3年)のことである。 1930年代に広瀬小学校は菅野門之助、沢畑正一らによる生活綴方教育の実践の場となった。1934年(昭和9年)11月に東北地方の教師70余名が参観した公開授業(広瀬小学校綴方研究会)は、参加者に強い印象と生活綴方への自信を与えたという〔中川正人「広瀬小学校における菅野門之助の教育実践」。〕。 1942年(昭和17年) には上愛子分教場を昇格させて上愛子小学校を設け、村の西部の児童をそちらに容れた。1948年(昭和23年)には同様にして作並小学校が分立した。 20世紀後半に仙台市の郊外として周辺地区の人口が増加すると、広瀬小学校の生徒数も増加した。広瀬川対岸の飛び地的位置にあった郷六地区は、宮城町が仙台市に合併した翌1988年(昭和63年)4月に仙台市立折立小学校へ編入した。1992年(平成4年)4月には東部の落合、栗生地区のために栗生小学校が新設された。その後も、学区内の人口が増え続け2008年に宮城県内一番の児童数に達した。このため、2009年4月に錦ヶ丘と上愛子地区と愛子中央の一部と下愛子地区の一部を学区とする愛子小学校が設立された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「仙台市立広瀬小学校」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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