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仙台村(せんだいむら)は、満州国浜江省五常県沙河子〔『七月十日は灰の町 仙台空襲と戦争中のこと』 P.121 - P.125〕、すなわち、現在の中華人民共和国黒竜江省ハルビン市五常市沙河子鎮()にかつてあった、大日本帝国(現・日本国)宮城県仙台市()からの開拓団による日本人入植地。当時は「仙臺村」と表記していた。 == 概要 == 満蒙開拓移民は、1位:長野県、2位:山形県、3位:宮城県の順に多く送り出しており、宮城県出身開拓団員は満州国内6地区に約1万人がいたとされる〔。開拓団は入植地で農業を中心とした生活圏をつくり上げるため、農業経験が豊富な農家の次男・三男を中心としているのが普通であったが、仙台村をつくった仙台市開拓団は価格統制下で生業を失った商工業者を中心としている点で他と異なる〔。 仙台市では、1939年(昭和14年)の価格等統制令や翌1940年(昭和15年)の公会(隣組)の設置、さらに1942年(昭和17年)の「宮城県水産物配給統制組合」設置、および、翌1943年(昭和18年)の「宮城青果物配給統制会社」設置などにより、商工業者が困窮した〔〔『仙台市史 通史編8 現代1』 P.200 - P.208〕。そのため、統制経済で仕事が無くなった中小商工業者〔青果物販売・大工・染物業・クリーニング・飲食業など。〕を中心に1942年(昭和17年)3月に仙台市開拓団が結成され、先遣隊が宮城農学寮にて1ヶ月間の訓練を受け、満州へと送られた〔。 短期間のうちに仙台村は1000人規模の集落にまで発展したが、1945年(昭和20年)8月9日、日ソ中立条約を破棄して満州に侵攻してきたソ連軍や周辺に住む中国人・朝鮮人に襲撃された〔。村民のうちどの位の人数が日本に引き揚げてこられたかは資料によって異なるが、少なくない村民が現地で落命したと見られている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「仙台村」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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