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仙岳院(せんがくいん)は、宮城県仙台市青葉区東照宮にある、仙台藩第2代藩主・伊達忠宗が開基した天台宗・康国寺の塔頭寺院〔仙岳院の歴史 (仙岳院)〕。仙台東照宮および平泉・中尊寺の別当寺〔。創建経緯から正式名称は眺海山康国寺仙岳院と考えられるが、江戸時代から康国寺を仙岳院と呼んでいた〔。 本尊は釈迦如来(釈迦牟尼仏)、脇侍は文殊菩薩と普賢菩薩(釈迦三尊)。仙台三十三観音11番札所。 == 歴史 == 仙台藩第2代藩主・伊達忠宗の夫人は、徳川家康の孫娘で、徳川秀忠の養女の振姫(実は池田輝政の娘)である。 忠宗は、家康を祭神とする東照宮の勧請の許可を江戸幕府第3代将軍・徳川家光から得て、1654年(承応3年)に玉田崎〔昔の仙台を見てみよう (仙台市)… 「玉田崎」は仙台七崎の1つ。「玉田ヶ崎」「玉手崎」とも呼ばれる。〕に仙台東照宮()を造営した。このとき、仙台東照宮の拝殿から南に東六番丁および清水小路へと直線的に接続する約10町(約1.1km)の参道も建設されたが、梅田川に架けられた橋(現・東照宮前橋)の南詰めに下馬()が設置され、下馬より南側が門前町として「御宮町」と名づけられた〔73 城下絵図 推定寛文4(1664)年 (宮城県図書館)〕〔74 仙台城下絵図 推定寛文9(1669)年 (宮城県図書館)〕〔76 仙台城下絵図 推定延宝6(1678)-8(1680)年 〕〔84 御城下町割絵図 天保4(1833)年 (宮城県図書館)〕。下馬は梅田川より北側が結界であることを示し、仙台東照宮の鳥居と梅田川との間の参道両脇には寺院が配置された〔〔〔〔。これら寺院の1つが当院であり、仙台東照宮の別当寺として江戸の不動院住持である晃海が康国寺を開山し、その塔頭寺院となった〔。 開山以来、平泉・中尊寺の別当を兼ね〔、仙台藩領内の寺院では筆頭の格式であった〔但し、東照宮の勧請を許可された藩においては東照宮別当寺が藩内の寺院筆頭になることが多く、仙台藩特有の序列ではない。〕。また、江戸・寛永寺の末寺ともなった。 子院(傍院)として延寿院(現存。)、宝蔵院、成就院、吉祥院があった〔。また、真浄殿には2代・徳川秀忠から14代・徳川家定までの歴代江戸幕府将軍の13基の位牌を安置した〔一代守り本尊堂 (仙岳院)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「仙岳院」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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