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仲宗根 美樹(なかそね みき、1944年6月23日 - )は、日本の歌手。東京都出身。本名は國場 勝子(くにば かつこ)。東洋音楽学校卒業。ミュージック・オフィス合田所属。 == 経歴 == 1944年(昭和19年)両親は共に沖縄出身であったが、第二次世界大戦の戦火を逃れるため沖縄から東京に疎開し、勝子が生まれる。 1960年(昭和35年)日本テレビ『東京物語』に出演し、その主題歌「愛に生きる」(キング・レコード)で歌手デビュー。 1961年(昭和36年)9月発表の「川は流れる」がヒット。12月には第3回日本レコード大賞新人奨励賞を受賞。 1962年(昭和37年)12月、第13回NHK紅白歌合戦にも初出場を果たし紅組のトップバッターを務めた。この頃、空手道・キックボクシングで一時代を築いた山崎照朝の熱狂的ファンになり、自身の事務所に山崎を招待している。有馬温泉・兵衛向陽閣のCMソング「有馬兵衛向陽閣」(作曲・キダ・タロー)も彼女が、「有馬兵衛の向陽閣へ」と、5秒CMでうたっている。 その後も「島育ち」「奄美恋しや」「ドリームファイブ」「海と野菊と船頭さん」「恋しくて」など次々とヒットを飛ばした。 1971年(昭和46年)一人目の夫、歯科医師の男性と結婚する為に芸能界を引退。 1972年(昭和47年)11月23日 11時頃、長男一成を出産。その後すぐに離婚し二人目の夫、白橋栄治と結婚している。 1975年(昭和50年)夫が沖縄国際海洋博覧会に合わせ、地元の政財界の人々の協力を得て海洋博会場入り口にショッピングセンター「ビックマート」(テナント数230店舗)を開設した。ところが、時期がオイルショック直後だったということ、海洋博自体が不人気であったことなどから、事業は破綻し多額の借金を負う。 1975年(昭和50年)12月 東京・神田に「東京エレガンスルーム」開業。 1977年(昭和52年)3月5日 次男雄大を出産。陣痛から出産までわずか30分という当時の病院記録であった。 1977年(昭和52年)12月 銀座の目抜き通りに「仲宗根美樹<審美容>サロン」を開設、フランチャイズを展開。 1978年(昭和53年)6月12日 長女亜紀を出産。 1981年(昭和56年)1月 ミキ・コーポレーション(加盟600店舗)が不渡り手形を出して倒産。負債総額は当時の金で6億5千万円におよんだ。その後自己破産し、夫とは離婚している。 1998年(平成10年)テレビ東京『年忘れにっぽんの歌』で25年ぶりに歌手復帰。 2000年(平成12年)初のバースデーライブを開催。フジテレビジョン「しらぱかプラス」、日本テレビ「ルックルックこんにちは」、テレビ東京「夏まつりにっぽんの歌」、「うた世紀ベスト10」など多数出演。 2001年(平成13年)映画「バックステージ」に出演、主題歌「I'm a singer」をおよそ30年ぶりにシングルで発売。この映画には次男の雄大と長女の亜紀も出演している。 2008年(平成20年)10月9日 長男一成と死別。死因はガン、享年35歳。 2012年(平成24年)2月12日 テレビ東京「日曜ビッグバラエティ懐かしの昭和メロディ」にゲスト出演。 2012年(平成24年)10月10日、ゆうぽうとで開催された「秋の歌謡フェスティバル」に出演。 2014年現在は銀座で『クラブ美樹』を経営している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「仲宗根美樹」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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