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仲本 工事(なかもと こうじ、1941年〈昭和16年〉7月5日 - )は、日本のコメディアン、歌手、ギタリスト、作曲家、俳優。ザ・ドリフターズ、こぶ茶バンドのメンバー。本名、仲本 興喜(なかもと こうき)。 東京府東京市渋谷区(現:東京都渋谷区)出身〔山下武『大正テレビ寄席の芸人たち』p.243(東京堂出版、2001年)には「東京・日本橋の靴屋の倅」とある。〕。イザワオフィス所属。バンドでの担当はボーカルとギター。血液型はA型。身長160cm、体重66.5kg〔『クイズ☆タレント名鑑』より〕。両親は共に沖縄県からの上京者。ドリフ映画での呼び名は「メガネ」。 沖縄で活躍する従兄弟の仲本興次もミュージシャンで、マーニンネーラン・バンドのドラマーである。日本芸術専門学校特別講師。 == 来歴 == 東京都立青山高等学校在学中は300人中7番の秀才で、東京都で2位の成績を残した体操選手としても活躍、文武両道であった。将来は弁護士になることを志望していた。同級生には俳優の橋爪功がいた(ただし橋爪は転入生である)。 学習院大学政治経済学部卒。大学時代、ジェリー藤尾率いるジャズ・バンド「パップ・コーンズ」にセカンドシンガーとして本名で参加。この時のバンジョー奏者に高木智之(後の高木ブー)がいた。ドリフターズ加入前には加藤英文(後の加藤茶)とともにクレイジーウエストに参加していたこともある。 高木の誘いにより1965年1月1日付でドリフターズに加入。高木はいかりやに紹介するギタリストを仲本にするか、それとも同じバンド仲間の青木健にするか少し悩んだが、いかりやがあまりに急いでいたため、すぐ連絡が取れた仲本に声をかけたと述べている〔高木ブー 『第5の男』 p.100-101〕。また、当初両親が芸能界入りに反対したため、いかりやが連日仲本の自宅に通って説得したという。 1966年、日本武道館で開催されたビートルズ日本公演の前座としてドリフターズも参加。『ロング・トール・サリー』(邦題:『のっぽのサリー』)を仲本のリードボーカルで演奏した。 1969年10月、ドリフターズをメインに据えた国民的バラエティ番組『8時だョ!全員集合』がスタート。仲本もメンバーとしてグループの中枢を支える。 1981年、競馬のノミ行為が発覚し、志村けんとともに書類送検された。志村に比べて賭け金が大きかった事から、『8時だョ!全員集合』のプロデューサーだった居作昌果共々競馬法違反で略式起訴され罰金刑を受けた。この事件は当時の新聞の社会面やトップを飾り(朝日新聞の見出しは『ノミ馬券だョ!全員集合』)、仲本、志村は以降しばらく『全員集合』をはじめとするテレビ出演を見合わせ、ドリフターズ全員で出演していた永谷園のテレビCMも、仲本、志村を除く3人のみのバージョンに差し替えられるなど、芸能活動を1か月半自粛した。また、同年7月25日放送の『全員集合』での学校コントでは、仲本自身がこの件に関連したネタを披露する場面があった。なお、いかりやも一緒に関わっていたにもかかわらず、実際に摘発されたのは仲本、志村の2人だったという〔ドリフターズが「結成50周年」でも再起動しない理由- アサ芸プラス 〕。 1982年、妻(紀子夫人)が心不全で亡くなる〔64歳仲本工事、離婚していた…ドリフ全員独身に 〕。 1985年、主演の『8時だョ!全員集合』が番組終了。 1990年、水戸黄門第20部で左甚五郎役を演じる。 1991年、美恵夫人と再婚〔64歳仲本工事、離婚していた…ドリフ全員独身に 〕。 1997年4月から6月にかけてフジテレビ系で放送されたドラマ『総理と呼ばないで』で官房事務副長官の役を演じる。 2002年、SMAPの稲垣吾郎とANAのテレビCM「超割(神様編)」で共演。 2003年6月、明治乳業「VAAM」のテレビCMで高橋尚子、高木ブーと共演。 2004年11月26日に発売されたサザンハリケーン(学習院大学の後輩)のCDのジャケットに登場。 2006年6月、所属事務所を通じて、美恵夫人と2004年に離婚していたことを発表した。美恵夫人との間には1男2女を儲けている〔64歳仲本工事、離婚していた…ドリフ全員独身に 〕。 2006年10月4日に発売されたRAG FAIRのアルバム『オクリモノ』のテレビCMに出演。 2012年7月、27歳下の歌手、三代純歌と3度目の結婚を発表。仲本が三代の曲『恋待ちつぼみ』のプロデュースをしたことがきっかけとなり、2006年頃から交際を開始。2008年にはデュエット曲『この街で』を発表している。同月14日、新高輪プリンスホテルの「飛天」で披露宴を行った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「仲本工事」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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