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仲 雅美(なか まさみ、1950年11月9日、別名;東光夫、仲真貴、仲眞貴)は、東京都中野区鷺宮〔通販生活 2013秋冬号、p.164-169 「連載第27回 人生の失敗」 (取材・文:溝口敦)〕出身の俳優、歌手。 日本大学農獣医学部中退。祖父は円山動物園や旭山動物園の初代園長を務めた中俣充志。 == 来歴 == 1968年(昭和43年)、東光夫として歌手デビュー。森進一を育てたチャーリー石黒(東京パンチョスのバンドマスター)に師事していた。 1970年(昭和45年)、仲雅美に改名〔まさみのこと - MASAMI NAKA OFFICIAL WEBSITE〕。師事した「彩木雅夫の”雅”」「城美好(=チャーリー石黒)の”美”」からの一文字ずつが由来〔2011年11月17日のブログ Grand Father - 仲雅美オフィシャルブログ「ちいさな部屋No.5」〕。 1971年(昭和46年)、TBSの木下恵介・人間の歌シリーズ第4作、「冬の雲」に出演。ドラマ挿入歌のロシア民謡「ポーリュシカ・ポーレ」をカバーして歌い、これがオリコン年間チャートで17位、36.1万枚の大ヒットとなった〔年間シングルヒットチャート 1971年(昭和46年) 〕。また、同年のブロマイド年間売上においては、ベスト10入りした(10位)。 1972年(昭和47年)、日本テレビの「さぼてんとマシュマロ」に出演。挿入歌の「涙のジャーニー」がヒットした〔1972/01/24付 〕。同年リリースのフジテレビの「青春をつっ走れ」挿入歌「君を愛す」まで、オリコントップ40入りヒット曲を飛ばすこととなった〔1972/05/08付 〕。 1975年(昭和50年)、脚本家の花登筺主幹「劇団喜劇」に入団。仲真貴に再改名。その後は、花登作品に数多く出演した〔。 1980年代のレンタルビデオ黎明期には、「MIMIビデオ」というレーベルを立ち上げ〔「月刊 ビデオプレイ」(冬樹社)1985年7月号、「月刊 映画秘宝」(洋泉社)2006年11月号〕、日本未公開の洋画を輸入しビデオ化。100本以上の作品を配給した。この頃、芸名を仲雅美に戻す〔。 なお、芸名と顔立ち、活動時期が似ていることから沖雅也と混同されることもあるが、別人である(沖とは、「さぼてんとマシュマロ」で兄弟役として共演し、後に「細腕一代記」でも共演)。 現在はダンスイベントなどに定期的に出演。また、公式ブログ 仲雅美の「ちいさな部屋No.5」オフィシャルブログ を更新中。(#外部リンク欄参照) 2013年4月26日、TBS「爆報! THE フライデー」の中で、映画の版権ビジネス事業(MIMIビデオ)に失敗、その後に闘病し、現在は警備員をしながらオーディションを受けていることが紹介された。 2013年6月26日、MEG-CDからシングル13枚、アルバム8枚が復刻。 2013年秋公開の映画「女たちの都〜ワッゲンオッゲン〜」で俳優復帰。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「仲雅美」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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