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任 忠植(イム・チュンシク、)は大韓民国の軍人、政治家。朝鮮戦争開戦時の第18連隊長。'')は大韓民国の軍人、政治家。朝鮮戦争開戦時の第18連隊長。 == 人物 == 1922年4月、全羅南道海南郡に生まれる。1936年、延吉中学校卒業。満州国軍に特別志願し、終戦時は満州国軍准尉。 1946年2月、第4連隊に入隊し、6月に警備士官学校第1期卒業、任少尉(軍番121番)、第3連隊の創設に参加。 1948年6月、第6連隊大隊長。1949年3月、第12連隊長。1949年9月、太白山地区戦闘司令部参謀長。1949年11月に第18連隊長。1950年4月、歩兵学校に入校。 朝鮮戦争が勃発すると連隊長に復帰。第18連隊は議政府方面に投入され辛酸を嘗める。その後、平沢-鎮川-清州-報恩-義城道沿いに遅滞行動を展開した。1950年8月、大佐に昇進。杞渓・安康の戦いで勇戦。 1951年2月、第18連隊の配属が首都師団から第3師団に変更。同年4月、第7師団副師団長。同年6月、第2師団副師団長。 1952年9月、第7師団長。准将に昇進。 1953年8月、憲兵司令官。同年12月、陸軍本部人事局長。 1955年、第1師団長。 1956年11月、第2師団長。 1957年5月、第6軍団長。 1958年、国防大学院卒業。 1959年、軍需参謀部長、任少将。 1960年1月、陸軍本部人事参謀副長。 1961年、第2軍参謀長、第2訓練所長。 1962年2月、任中将。同年3月、第5軍団長。 1963年12月、国防部人材次官補。 1965年4月、陸軍参謀次長。 1967年4月、合同参謀議長、任大将。 1968年8月、予備役編入。同年9月、国防部長官。 1971年、第8代国会議員(海南区、民主共和党)。 1973年、第9代国会議員(海南区、民主共和党)。 1974年、死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「任忠植」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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