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任那(みまな/にんな、? - 562年)は古代に存在した朝鮮半島南部の地域。 == 概要 == 朝鮮半島における倭国の北端である『三国志』魏書東夷伝倭人条の項目における狗邪韓国(くやかんこく)の後継にあたる金官国を中心とする地域、三韓の弁辰、弁韓および辰韓の一部、馬韓の一部(現在の全羅南道を含む地域)を含むと看做すのが通説である。任那諸国〔通典辺防典〕の中の金官国(現在の慶尚南道金海市)を指すものと主張する説もある(後述)。 後に狗邪韓国(金官国)そして任那となる地域は、弥生時代中期(前4、3世紀)に入り従来の土器とは様式の全く異なる弥生式土器が急増し始めるが、これは後の任那に繋がる地域へ倭人が進出した結果と見られる〔『朝鮮半島出土弥生系土器から復元する日韓交渉』東京大学考古学研究室研究紀要. 第25号, 2011年3月, pp.65-96〕。 第二次世界大戦後、次第に政治的な理由により任那問題を避けることが多くなっていた〔吉田1997 p.74、森1998等 実際に、『朝鮮史』(山川出版社<新版世界各国史2>、2000年 ISBN 4-634-41320-5)においても、任那については広開土王碑文に登場する「任那加羅」や、弁韓諸国の系統の一小国としてしか扱われていない。〕が、倭が新羅や百済を臣民とした等と書かれている、広開土王碑日本軍改竄説が否定され、史料価値が明確になったこと〔従来、日本軍による改竄の可能性があるとされてきたが、2006年4月に中国社会科学院の徐建新により、1881年に作成された現存最古の拓本と酒匂本とが完全に一致していることが発表された。〕、またいくつもの日本固有の前方後円墳が朝鮮半島南部で発見され始めたことなどから、近年ヤマト朝廷そのもの或いは深い関連を持つ集団による統治権、軍事統括権および徴税権の存在について認める様々な見解が発表されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「任那」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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