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株式会社佐世保玉屋(させぼたまや、英称:''Sasebo Tamaya Department Store Inc.'')は、長崎県佐世保市に店舗を置く百貨店。佐賀市の佐賀玉屋は、ルーツを同じくする玉屋グループの兄弟会社である。 九州における高島屋ハイランドグループの重要拠点で、県都・長崎市でも営業していたが、店舗老朽化と地域全体の再開発計画のため、2014年2月いっぱいで閉店。仮店舗による営業に移行した。また子会社の株式会社伊万里玉屋(いまりたまや)が佐賀県伊万里市で百貨店を営業していたが、2016年1月31日をもって閉店。 == 沿革 == * 1806年(文化3年) 田中丸善吉が、肥前国小城郡牛津村(現・佐賀県小城市牛津町牛津)西町に荒物店「田中丸商店」として創業。 * 1894年(明治27年) 日清戦争を機として佐世保市松浦町に進出。 * 1911年(明治44年) 田中丸合名会社(資本金20万円)設立。 * 1918年(大正7年) 九州初の百貨店となる「デパート田中丸呉服店」の設立を計画。 * 1920年(大正9年) 佐世保市栄町に鉄筋4階建てで開業。その後田中丸一族が分かれて、福岡市や佐賀市、小倉市(現・北九州市小倉北区)にも会社を作り進出。 * 1925年(大正14年) 佐世保で初めてのラジオが、食堂に設置される。 * 1928年(昭和3年) 座売販売から土間式販売へ移行。 * 1929年(昭和4年) マネキンガールを大阪から招く。 * 1931年(昭和6年) 商号を玉屋へ改称。同年、1~5階までのエレベーターを新設。 * 1935年(昭和10年) 女性店員制服洋装制定モガ(モダンガール)で話題を集める。 * 1939年(昭和14年) 軍用機3機(玉屋報国号)を献納。 * 1941年(昭和16年) 佐世保玉屋へ改称。 * 1942年(昭和17年) ホンコン玉屋開業。店長は、田中丸善六(終戦時に閉店)。 * 1943年(昭和18年) 戦時体制の為、販売業務を縮小、一部が海軍及び海軍工廠関係の使用する所となる。 * 1945年(昭和20年) 佐世保大空襲で被災。終戦後復旧に着手、同時に生活物資の配給並びに米軍に対する土産品の販売開始。 * 1948年(昭和23年) 大水害、1階が浸水。 * 1950年(昭和25年) レストラン・タマヤ開店(佐世保駐留の国連軍対象のレストランとしてオープン)。 * 1965年(昭和40年) 長崎市にスーパーマーケット形式の「マルタマ住吉店」を開業。 * 1966年(昭和41年) 伊万里市に子会社を作り、「伊万里玉屋」を開業。 * 1969年(昭和44年) 長崎市に「長崎玉屋」を開業。 * 1973年(昭和48年) 佐世保市に「玉屋家具サロン」を開業(1991年、LIVING MUSEUM LIM(リビングミュージアム・リム)へ改称)。 * 1978年(昭和53年) 長崎市のベッドタウンとして発展する諫早市に「諫早玉屋」を開業(2006年閉店)。 * 1987年(昭和62年) 百貨店開業70周年記念として、佐世保市へ1,000万円寄贈(市は玉屋文化体育振興基金設立)。 * 2006年(平成18年) 玉屋創業200周年を迎える。 * 2009年(平成21年) 田中丸弘子(当時39歳)が社長に就任。 * 2014年(平成26年) 「長崎玉屋」を2月いっぱいで一旦閉店。 * 2016年(平成28年) 「伊万里玉屋」を1月31日をもって閉店。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐世保玉屋」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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