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伊号第五潜水艦(いごうだいごせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。伊一型潜水艦(巡潜1型)の5番艦。巡潜1型改とも呼ばれ、日本海軍の潜水艦で初めて水上偵察機を搭載した。1944年サイパン沖で敵艦船を攻撃したが米護衛駆逐艦に攻撃され戦没。 == 艦歴 == 1927年(昭和2年)度計画。建造は川崎造船所で行われ、1929年(昭和4年)10月30日起工、1931年(昭和6年)6月19日進水、1932年(昭和7年)7月31日に竣工した。同日横須賀鎮守府籍に編入する。 竣工時より飛行機格納筒を装備し水上機の運用が可能だった。翌1933年(昭和8年)に後部高角砲1門を撤去し空気式の呉式1号2型射出機を1基装備、発艦時に艦を停止させることなく水上機の運用が可能になった。しかし、1940年(昭和10年)に射出機を撤去、これ以降に水上機の搭載はない模様である。また、この時に25mm連装機銃1基を艦橋構造物上に搭載したとされている。 太平洋戦争開戦時には第六艦隊第二潜水戦隊として真珠湾攻撃の後詰としてハワイ周辺海域で作戦行動を行った。その後は通商破壊任務でインド洋に向かうが、2月24日にティモール島付近を航行中、日本海軍の零式艦上戦闘機の誤射を受けて艦長ほか1名が負傷〔稲葉(1984年)、113-116頁。〕。修理と艦長交代後の3月27日にインド洋へ出撃し、セイロン沖海戦と連動して行動〔稲葉(1984年)、131-132頁。〕、4月6日にセイロン島沖でアメリカ貨物船「ワシントニアン」(Washingtonian)を魚雷により撃沈した〔Cressman, Robert, ''The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II'' , Annapolis MD: Naval Institute Press, 1999.〕。 1942年(昭和17年)6月のアリューシャン攻略作戦支援後は、ラバウルに進出してソロモン諸島の戦いへ参加し、ラエへの輸送任務を9回行う。1943年(昭和18年)にはキスカ島撤退作戦支援のためアリューシャン方面へ再度進出。その後はまたラバウルへ進出してスルミ輸送などを行った。1944年(昭和19年)7月16日横須賀への輸送任務のためトラック出港。横須賀へ向かう途中の7月19日、サイパン東方沖で敵艦船を攻撃したがアメリカ海軍護衛駆逐艦「」らの攻撃を受け戦没。同日沈没認定、第7潜水隊司令楢原省吾大佐を含む乗員130名全員が戦死した。9月10日除籍。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊号第五潜水艦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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