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伊佐野城(いさのじょう)は、栃木県矢板市大字下伊佐野小字堀之内にあった日本の城(山城)。築城者、築城年代は不詳。天正18年(1590年)廃城。別称として「堀之内館・堀内館」(ほんのうちやかた)。 == 概要 == 伊佐野城は、塩谷氏が下野国塩谷郡を治めていた時代に家臣の山本氏の支配の城であったことが知られており、塩谷氏の本城である川崎城の北の守りを成す支城のひとつであった。土豪の館を山に築いた程度の小規模な城で、堀切により守られた主郭と階郭の曲輪により構成される。当地には持宝院という寺があり、現在は城の北側の麓に移転しているが、かつては、城ともに山にあったと伝わり、伊佐野城は半寺半城の城であった。築城年代は不明であるが、伊佐野は『和名抄』にその地名が出てくるほど古く、『矢板市史』では、証拠となるものは何も無いと前置きしながらも、当地が平安末期の伊佐野支配の役所跡である可能性を指摘している。 その歴史については、ほとんど資料が無く不明な点が多い。ただし、時代不詳の城主として鈴木右京という人物があったと伝わる。名前のみで事績が全く伝わっていない〔矢板市教育委員会編 『矢板市史』矢板市、1981年。〕。『川崎塩谷伯耆守実録』という書物の永正6年(1509年)6月14日の記述に伊佐野右京之介の名が見え、これが伊佐野を支配した鈴木右京と同一人物であった場合、この時代の武将と推測されるが定かではない。 城は、天正18年(1590年)に伊佐野郷が塩谷氏の支配から、岡本氏の支配に変わった時に廃城になった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊佐野城」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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