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伊勢ノ浜 寅之助(いせのはま とらのすけ、1902年1月26日-1985年1月4日)は、兵庫県神戸市東灘区出身で1920年代に活躍した大相撲力士である。本名は泰中 虎之助。身長170cm 、体重105kg。最高位は東前頭6枚目(1931年5月場所、10月場所)。引退後は年寄中立として後進の指導につとめた。 == 来歴 == 1914年に根岸部屋の大関伊勢ノ濱慶太郎のもとに入門するも、新弟子検査に合格するまで時間がかかり、初土俵は1917年5月場所であった。1919年に伊勢ノ濱が引退して中立部屋を興すと、それに同行する。最初の四股名は洋ノ花(なだのはな)で、その名で1924年5月場所に新十両を果たした。 しかし、そのあと十両から幕下上位に停滞しているときに、1928年に師匠が死去し、同門の二子山部屋に預けられる。そこから力もつき、1930年1月場所に新入幕、このとき、四股名を伊勢ノ浜と改める。1月場所は東西制の出羽海方に所属していたが出羽海部屋所属ではなかったため、綾桜や藤ノ里などの出羽海部屋の十両力士との取組が組まれていたので、その直後の3月場所から出羽海部屋に移籍する。 1932年の春秋園事件のときには、一時脱退、1933年1月に復帰するも、四股名の返上を先代未亡人から求められ、灘ノ花と改める。しかしこの場所、11戦全敗におわり、その後は幕内にもどることなく、1935年1月場所、十両でも11戦全敗となり、この場所限りで引退した。 引退後は年寄中立を襲名し、出羽海部屋付の年寄として後進の指導にあたった。1967年1月、停年退職した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊勢ノ浜寅之助」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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