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北条 早雲(ほうじょう そううん)は、室町時代中後期(戦国時代初期)の武将で、戦国大名となった後北条氏の祖である。伊勢 宗瑞(いせ そうずい)とも呼ばれる。北条早雲は戦国大名の嚆矢であり、早雲の活動は東国の戦国時代の端緒として歴史的意義がある。 == 名称と生年 == 諱は長らく長氏(ながうじ)または氏茂(うじしげ)、氏盛(うじもり)〔『寛永諸家系図伝』『寛政重修諸家譜』等の、江戸時代の狭山藩北条家に伝わる系譜では全て「長氏」とし、逆に伊勢家に伝わる「正本伊勢系図」(続群書類従所収)では「盛時」を「氏茂」に改めたとしている。佐藤良雄(2001)なお、明治時代の岡谷繁実『名将言行録』では「北条長氏」としている。〕などと伝えられてきたが、現在では盛時(もりとき)が定説となっている〔黒田(1997),p.38.〕。通称は新九郎(しんくろう)。号は早雲庵宗瑞(そううんあんそうずい)。生年は、長らく永享4年(1432年)が定説とされてきたが、近年新たに提唱された康正2年(1456年)説が有力視されつつある〔。 なお伊勢家が、北条姓を称したのは早雲の嫡男・氏綱からであり、存命中に「北条早雲」の名が使われた確実な史料は乏しい〔ただし、江戸末期の編ながらも史料価値が高いとされる系図纂要の北条氏系図では、「北条長氏 実は伊勢備中守貞國が二男、本(名)は長茂、伊勢新九郎、長享元年北条氏に改む(原漢文)」とあり、これによれば長享元年即ち1487年には北条姓を称していたことになる。江戸時代の北条家の系譜では北条行長の子とし、「北条左京大夫長氏」という記載も見られる。佐藤良雄(2001)〕点に注意する必要があるが、通例では遡って「北条早雲」と呼ばれる〔相模国盗り物語(2008),p.24;家永(2005),p.35.〕。 これらの点に関しては、偏諱を与えた人物・名前について、早雲の出自と生年の論争の各節に詳述する。なお、この項目での呼称は便宜上「(北条)早雲」で統一する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北条早雲」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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