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伊号第十三潜水艦(いごうだいじゅうさんせんすいかん)は、大日本帝国海軍の潜水艦。普遍的には伊十三型潜水艦の1番艦とされているが、海軍省が定めた公式類別では伊九型潜水艦の5番艦〔本艦が艦艇類別等級別表に登載された1943年10月1日時点で伊号第九潜水艦が除籍済みかつ伊号第一潜水艦(2代)が同表未登載のため、法令上は伊十型潜水艦の4番艦。これら2艦も含めた場合、同表上では伊九型潜水艦の通算6番艦となる。〕。 == 艦歴 == マル追計画の潜水艦甲、第620号艦型の2番艦、仮称艦名第621号艦として計画〔戦史叢書『海軍軍戦備(1)』、pp. 841-843。〕。建造中の1943年後期に、建造隻数が削減された伊四百型潜水艦を補うため設計変更された〔世界の艦船『日本潜水艦史』、p. 62。〕。 1943年2月4日川崎重工業神戸造船所で起工。10月1日伊号第十三潜水艦と命名〔昭和18年10月1日付 達第235号。〕、伊十型潜水艦の4番艦に定められ〔昭和18年10月1日付 内令第2026号。〕、本籍を佐世保鎮守府と仮定〔昭和18年10月1日付 内令第2045号。〕。11月30日進水。1944年12月16日竣工し、本籍を佐世保鎮守府に定められ〔昭和19年12月16日付 内令第1359号。〕、第六艦隊付属に編入、神戸発呉へ。その後は呉にて搭乗員の訓練などに従事。12月30日伊号第400潜水艦と第一潜水隊を新編〔昭和19年12月30日付 内令第1392号。〕。 1945年5月28、29に鎮海入港、燃料補給。7月4日彩雲2機を大湊にて搭載、同月11日大湊発トラック島へ向け出港。本来の晴嵐搭載の任務ではなく、トラックへの輸送作戦だった。出港後、マリアナ東方海面を南下して、7月20日頃トラック入港の予定だったが、8月1日までにトラックへ入港しないことから喪失と認定された。米側記録によると7月16日に米護衛空母「アンツィオ」(アンジオ)の艦載機および米護衛駆逐艦「」の攻撃により小笠原北東方の北緯34度28分、東経150度55分(米軍記録より)の海中で撃沈された。艦長以下140名が戦死認定。9月15日に除籍。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊号第十三潜水艦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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