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伊号第五十一潜水艦(いごうだいごじゅういちせんすいかん)は、大日本帝国海軍の潜水艦。艦級は海大I型(海大型は海軍大型の意味)で同型艦はない。海大型系列の潜水艦で最初の艦。また日本潜水艦で初めて水上機を試験的に搭載し発着試験を行った。1940年に除籍、戦歴無し。 == 概要 == 第一次世界大戦でのドイツ海軍のUボートの活躍に刺激され日本海軍は潜水艦の整備に乗り出した。本艦はそのうちの艦隊決戦に使用する大型の潜水艦である。1918年(大正7年)の八六艦隊案で計画番号S22として計画され、呉海軍工廠で1921年4月に起工、1924年(大正13年)6月20日に竣工。呉鎮守府籍。 竣工時名称は第四十四号潜水艦であるが、竣工直後の1924年(大正13年)11月1日に伊号第五十一潜水艦と改名された。 本艦の艦型名も幾度か改正が行われ、海軍大型四十四型〔大正11年2月10日付 海軍内令 第46号。〕、伊号型海大一型〔大正12年6月3日付 海軍内令 第232号。〕、(一等)海大一型〔大正13年10月21日付 海軍内令 第254号。同年11月1日から施行。〕、最終的には艦型名なし〔昭和13年6月1日付 海軍内令 第421号。〕となった。 海大型潜水艦の系列の最初のもので、水上で高速を発揮し艦隊と共に行動して敵艦隊と対決することを想定して建造された。すなわち米艦隊を繰り返し襲撃することが想定され、敵の速力(艦隊の巡航速度15ノット、個艦の速力21ノット程度が予想されていた)以上の水上速力23ノットが要求された。当時まだ高出力ディーゼルが無かったため、海中型で採用されたディーゼル機関を4基搭載、スクリューは4軸とした。そのために内殻は円筒を2つ横に並べたような特異な形となった〔後の伊四百型潜水艦やソ連のタイフーン型原子力潜水艦と同様の形状。〕。本艦ではまず速力20ノットを目指していたが実際は18ノット強にとどまり、海大系列の潜水艦が速力23ノットを達成するのは1934年(昭和9年)に第1艦が竣工する海大6型aまであと10年待つ必要があった。また航続力は本艦は20,000海里(10ノット時)にもなり、当時の海中型潜水艦(海中3型)の6,000海里(10ノット時)から大幅に増大している。 本艦は専ら実験や訓練用の潜水艦として使われた。この潜水艦の設計及び建造の経験は帝国海軍が後に大型潜水艦を建造する際の最初となった。 1931年(昭和6年)に呉工廠で円筒形の水上機格納筒を装備、横廠式二号水上機を搭載し発着試験を行った。1933年(昭和8年)には呉式1号2型射出機を後甲板に試験装備、水上機発進の試験を行い、日本海軍潜水艦における航空機搭載のさきがけとなった。 太平洋戦争開戦前の1940年4月1日に除籍される。そのため戦歴はない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊号第五十一潜水艦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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