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伊号第四百一潜水艦〔昭和18年12月22日付 海軍大臣達 第319号。四〇一ではない。〕(いごうだいよんひゃくいちせんすいかん)は、第二次世界大戦中の大日本帝国海軍の潜水艦。伊四百型潜水艦の二番艦。 == 概要 == 1945年(昭和20年)1月8日竣工したが、すでに敗戦はほとんど決していた。それでも終戦直前の7月20日、アメリカ海軍機動部隊の泊地であるウルシー環礁を攻撃すべく舞鶴を出港、23日に大湊を出撃した。指揮官として第1潜水隊司令有泉龍之助大佐が座乗した。艦長は南部伸清少佐が務めた。もともと設計時に想定された通常の攻撃ではなく、3機の『晴嵐』は特攻機として使用する予定であり、搭乗員が特攻隊員としての短刀が渡され、出撃時に特攻の別れの杯の式が執り行われていた。 僚艦伊号第四百潜水艦と途中合流の予定だったが合流できなかった。攻撃開始の直前に終戦となり、降伏の命令を現地で受ける。艦内では自沈か攻撃かで激論となったが、結局は艦長の判断で帰還と決し、艦載機を機密保持のため海上にて処分し、帰還途上の8月29日米軍により海上で接収される。有泉司令はこの2日後司令室で自決した。ただし自決日は8月29日とする資料もある(『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』では8月29日、半藤一利著『戦死の遺書』文春文庫1995年では8月31日)。乗員204名中に他に自決者は出なかった。 その後米軍の手によって実験後、1946年5月31日真珠湾沖で海没処分された。 2005年、ハワイ大学ウィルシャー教授のチームによってオアフ島沖で発見され、沈没地点が特定された。 艦載機の機密保持とは、通常、日本軍機は深緑色に国籍は日の丸のエンブレムであるが、艦載機の外装をシルバーに、国籍をアメリカ軍の星形を付け米軍機の偽装をした〔高橋『神龍特別攻撃隊』196頁〕。これは明確な戦争犯罪であり、該当機の処分及び司令官の自決という結果につながった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊号第四百一潜水艦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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