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伊吹嶋 沖右エ門(いぶきしま おきえもん、生年不明 - 1860年6月27日〈万延元年5月9日〉)は、朝日山部屋(大坂相撲),雷部屋及び音羽山部屋に所属した元力士〔http://sumodb.sumogames.de/Rikishi.aspx?r=3376&l=j〕。 本名・身長・体重とも不明〔。讃岐国多度郡(現在の香川県仲多度郡)出身〔。 最高位は西小結。 最初は大坂相撲でデビューした。その後、丸亀藩のお抱えとして1849年11月場所で初土俵(二段目〈現在の幕下〉)を踏んだ。昇進は早く、1852年2月場所で西十両10枚目(十枚目格)に昇進〔。十両では負け越しが一度もなく4場所で通過し〔、1854年2月場所で新入幕を果たした。そして入幕2場所目の1854年11月場所(この時の四股名は沖ノ濱 勝藏(おきのはま かつぞう))で8勝2休と、土つかずの優勝相当成績を挙げた〔嘉永7年冬場所(大相撲星取表のHP) 〕。翌1856年1月場所〔1855年は、回向院の火災で2月場所が中止。続く11月場所は安政江戸地震の発生により開催すらされなかった。〕でも6勝1敗2休1分の好成績を挙げた。1859年1月場所で小結に昇進し、5勝4敗1休の成績を挙げたが翌11月場所で平幕に降格した。万延年間に入ると体調を崩し、1860年3月場所は全休。その場所後の5月9日に現役中のまま死去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊吹嶋沖右エ門」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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