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伊地知 季珍(いじち すえたか、安政4年3月26日(1857年4月20日) - 昭和10年(1935年)4月7日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 == 経歴 == 鹿児島県出身。伊地知徳四郎の息子として生まれる。1874年(明治7年)10月、海軍兵学寮(7期)に入学。1883年(明治16年)11月、海軍少尉に任官。1886年(明治19年)12月、「金剛」分隊長となり、「愛宕」「武蔵」「筑波」の各分隊長、「龍驤」「橋立」の各砲術長などを経て、1894年(明治27年)6月、「扶桑」砲術長に就任し日清戦争に出征し、1895年(明治28年)2月、常備艦隊参謀に転じた。 1895年8月、「大和」副長となり、翌年4月、海軍少佐に昇進し佐世保鎮守府参謀に着任。「扶桑」副長に異動し、1897年(明治30年)12月、海軍中佐に進級した。1898年(明治31年)3月、呉造兵廠検査科長に就任し、造兵監督官(イギリス出張)を経て「武蔵」艦長に就任し、1901年(明治34年)7月、海軍大佐に昇進。「金剛」「浪速」の各艦長を経て、1903年(明治36年)9月、「出雲」艦長に着任し日露戦争に出征。蔚山沖海戦、日本海海戦に参加した。1905年(明治38年)12月、「鹿島」回航委員長として渡英、その後、同艦長を経て舞鶴鎮守府参謀長に就任し、1907年(明治40年)3月、海軍少将に進級した。 1908年(明治41年)5月、呉工廠長となり、1911年(明治44年)6月、海軍中将に進んだ。以後、第2艦隊司令長官、艦政本部長、横須賀鎮守府司令長官、呉鎮守府司令長官、海軍将官会議議員を歴任。1917年(大正6年)3月、後備役に編入となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊地知季珍」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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