|
福元 一義(ふくもと かずよし、1930年11月5日 - )は、日本の漫画家、漫画編集者、漫画アシスタント。元手塚プロダクション所属。鹿児島県出身。別名:福本一義、福本かずよし、伊奈たかし。 手塚治虫のチーフアシスタントを20年以上務める。手塚24歳頃の担当編集でもあり当時から作画を手伝っていた。 == 経歴 == 鹿児島県立鹿屋高等学校卒業後、グラフィックデザイナーを目指して1949年に日本大学芸術学部に進学。1952年、下宿先で知り合った絵本作家にイラストを認められ少年画報社を紹介され、大学を中退して同社に入社する。少年画報の編集者として、手塚治虫、福井英一、高野よしてる、河島光広を担当する一方、自らも漫画を描き始め、作品を発表し始める。 1955年に自作に専念するため退社するものの、依頼を引き受けすぎてその大半を落とすという事件や悪書追放運動で『轟名探偵』が槍玉に挙がるなどしたため、一時期漫画が嫌になったという。1957年から1960年代前半まで武内つなよしの「プレイングマネージャー」を務める。武内にとって福元は恩人にあたる(福井英一が急死した際、新人である武内を抜擢し、赤胴鈴之助を描き継がせた)。 1965年に手塚治虫が『マグマ大使』を連載開始するにあたって少年画報編集部に出した条件が「福元をアシスタントとして迎えるならやってもいい」というものであり、同作で手塚のアシスタントを務める。同時期、手塚の元チーフアシスタント井上智の「智プロ」に入社したが、1967年頃に退社。 1970年、正式に手塚プロダクションに入社。以降手塚が死去するまでアシスタント、チーフアシスタントを務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「福元一義」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|