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伊奈 忠順(いな ただのぶ〔名の読みは「ただゆき」とも。〕、生年不詳 - 正徳2年2月29日(1712年4月4日))は江戸時代中期の関東郡代。通称は半左衛門。関東郡代・伊奈忠常の次男。兄に忠篤。室は折井正辰の娘。嫡男に忠辰。また、伊奈貞長の次男・忠逵を養子とした。 はじめ稲葉正篤の養子となり、兄・忠篤が死去すると兄の養子として、関東郡代職と武蔵国赤山(現在の埼玉県川口市赤山)4000石の赤山城の遺領を継いだ。伊奈氏の代々の仕事を引き継ぎ、幕府代官として架橋工事、治水工事を主に行った。 == 業績 == *元禄11年(1698年) 深川永代橋架橋工事 :5代将軍・綱吉の50歳の誕生日を記念して架けられた。 *元禄13年(1700年) 深川埋め立て工事 *宝永元年(1704年) 江戸本所堤防修築 *宝永2年(1705年) 浅草川治水工事 *宝永4年(1707年) 富士山噴火。奉行として派遣。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊奈忠順」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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