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伊奈忠隆[いな ただたか] 伊奈 忠隆(いな ただたか、元和2年(1616年)- 慶安3年9月6日(1650年9月21日))は、武蔵小室藩第2代藩主・伊奈忠政の次男。母は酒井重忠の娘。幼名は千代松。熊蔵、五郎左衛門。姉に片桐孝利室、加賀爪直澄室、兄に忠勝、弟に右馬助。子に宗英、忠之、政春、忠泰。 武蔵小室藩主の兄・忠勝が元和5年(1619年)8月に9歳で夭折したため無嗣(改易)、武蔵小室藩は廃藩となったが、祖父忠次から続く功績から伊奈氏は名跡(みょうせき)とみなされ、3歳で旧領のうち武蔵国小室郷(丸山村、別所村、宿村、本村・小貝戸村、中萩村、柴村)1,186余石の所領が与えられ、小普請に列する。住居を当初旧小室藩の陣屋の本丸辺りとしていたが、後に江戸に屋敷(江戸裏四番町)を拝領し移住している。慶安3年(1650年)、35歳で没する。法名覚水。墓所は、鴻巣勝願寺。宗英が跡を継ぎ、貞長、忠義、忠豊、忠賢、忠孚、忠寛、忠昶と続き、明治維新に至る。 ==参考文献==
*寛政重修諸家譜 *伊奈町史別編「伊奈氏一族の活躍」
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊奈忠隆」の詳細全文を読む
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