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伊庭 駿三郎(いば しゅんざぶろう、1903年11月28日 - 没年不詳)は、日本の俳優である〔キネマ旬報社、p.68.〕〔''伊庭駿三郎''、日本映画データベース、2012年11月21日閲覧。〕〔''伊庭駿三郎''、KINENOTE、2012年11月21日閲覧。〕。本名・旧芸名益田 俊雄(ますだ としお)〔〔、1950年代には、伊庭 駿(いば しゅん)とも名乗った。伊藤大輔の『斬人斬馬劔』でデビュー、同監督の作品に多く出演した〔〔。 == 人物・来歴 == 1903年(明治36年)11月28日、山梨県に生まれる〔〔。 東京に移り、慶應義塾普通部に進学するが、1917年(大正6年)、三年次で中途退学する〔。六代目尾上菊五郎の門下生となる〔。その後1929年(昭和4年)、松竹京都撮影所が製作、伊藤大輔が監督した『斬人斬馬剣』に「若衆三之亟」で出演、同作は同年9月20日に公開されて、満25歳にして本名で映画界にデビューした〔斬人斬馬剣 、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年11月21日閲覧。〕〔''益田俊雄''、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年11月21日閲覧。〕。そのまま京都に残り、1930年(昭和5年)、日活太秦撮影所に入社、伊藤大輔監督の『素浪人忠弥』、『興亡新選組』前史・後史に立て続けに出演した〔〔。1932年(昭和7年)6月17日に公開されたマキノ正博監督の『七人の花嫁』では、沢村国太郎演じる銭形平次の手下の「ガラッ八」を演じている〔。 1938年(昭和13年)には、新興キネマ京都撮影所(現在の東映京都撮影所)に移籍している〔〔。 第二次世界大戦後は、しばらく出演記録が途絶えるが、1951年(昭和26年)11月22日公開の『大江戸五人男』、1952年(昭和27年)2月22日公開の『治郎吉格子』の2作の伊藤大輔の監督作に「伊庭 駿」の名で、いずれも「茶羅八」役で出演している〔''伊庭駿''、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年11月21日閲覧。〕。1955年(昭和30年)以降の出演歴は見当たらず、消息も不明である〔〔。没年不詳。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊庭駿三郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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