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伊志嶺翔大 : ミニ英和和英辞書
伊志嶺翔大[いしみね しょうた]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こころざし]
 【名詞】 1. will 2. intention 3. motive 
: [みね]
 【名詞】 1. peak 2. ridge

伊志嶺翔大 : ウィキペディア日本語版
伊志嶺翔大[いしみね しょうた]

伊志嶺 翔大(いしみね しょうた、1988年5月12日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手外野手)。
== 経歴 ==

=== プロ入り前 ===
沖縄県平良市(現・宮古島市)出身。小学1年時にスポーツ少年団に入り野球を始める。野球の練習がない時は海に飛び込んで魚を捕まえていた野生児気質だった〔『野球小僧』2010年10月号、白夜書房、雑誌18801-10、90-91項。〕。2年の時に宮古島キャンプに来ていたオリックスの野球教室に参加し、イチローにサインを貰ったことでプロ野球選手になりたいという思いが強くなる。3年からは高校で陸上部の顧問をしていた父親に陸上選手としての指導を受け、代表選手として出場した宮古地区大会では新記録で優勝。中学時代は軟式野球部で主に投手を務め、内野手外野手も経験する。陸上では2年時に県大会の200mで優勝した。高校進学にあたって陸上選手として複数校から勧誘されたが、野球選手の道を進むため沖縄尚学高に推薦入学する〔。
1年時4月のオープン戦で本塁打を放ち、打撃に目覚めたことで外野手に専念。夏にレギュラーとなったが秋にはその座を奪われ、翌春のセンバツ夏の甲子園では代打として1打席ずつの出場に終わる。秋は九州大会で敗退、3年時の夏も県大会準決勝で敗退し甲子園出場はならなかった。この年の春に左肩を脱臼しその後も繰り返していたため、東海大学への進学前に手術を受ける〔。1学年先輩に比屋根渉、2学年後輩に東浜巨がいる。
入学後の3カ月はリハビリに努める。同時にウエイトトレーニングなどをこなしていたことで復帰後の練習にも遅れることなく、2年春からレギュラーに定着し夏には第24回ハーレムベースボールウィーク日本代表に選出される。これがプロへ進むための評価を自覚するきっかけとなり、また人生の大きな分岐点になったという〔。秋に首都リーグベストナインに輝き、同賞を通算4回獲得。大学野球日本代表で3年秋から、東海大では4年から主将を務める。4年時の全日本大学野球選手権大会では15打数9安打、世界大学野球選手権大会でも24打数11安打の成績を残したことでプロのスカウトからは「足はプロでもトップクラス」「大学ではナンバーワンの野手」との評価を受ける〔。首都大学リーグ通算63試合出場、243打数79安打、打率.325、2本塁打、40打点。
10月28日のプロ野球ドラフト会議千葉ロッテマリーンズオリックス・バファローズの2球団が1位指名し、抽選の結果ロッテが交渉権を獲得。契約金1億円、年俸1500万円で契約した。背番号は、この年限りで引退した堀幸一が20年間着用していた「5」に決まった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「伊志嶺翔大」の詳細全文を読む




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