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伊木 忠福(いぎ ただとみ、寛延元年7月4日(1748年7月28日) - 寛政10年6月10日(1798年7月23日))は、岡山藩筆頭家老。第8代伊木家当主。通称は長門。主君は池田治政・斉政。 == 生涯 == 忠福は、6代当主・伊木忠興の長男で病弱のため廃嫡となった忠芳の長男として、岡山で生まれた。母は忠芳の側室・佐藤氏。 7代忠知には子が多かったが、嫡子の長九郎が早世したことを理由に、本来ならば家督を継ぐはずであった忠芳の長男を養嗣子とした。安永4年(1775年)10月、忠知が56歳で死去し、28歳で家督を相続する。 安永8年(1779年)、旗本小堀邦直(小堀政一の弟の子孫、小堀仁右衛門家)の娘・治重(ちえ)と婚姻する。伊木家と小堀家は代々姻戚関係にあり、治重は幼少の時から忠福の母に養われていた。 正室の実家が遠州流の家系であったことから、茶道に興味を持ち、夫婦とも茶の湯に勤しんだ。寛政3年(1791年)には速水流創始者である速水宗達を、伊木家陣屋のある虫明(岡山県瀬戸内市)に招待したとされる。 寛政10年(1798年)6月、51歳(数え年)で没した。嗣子がなかったため、岡山藩家老・池田博道の二男が9代忠真として伊木家の家督を継いだ。 法名は諦観院殿前長州顕徳常翁大居士。墓所は伊木家千力山墓所(岡山県瀬戸内市)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊木忠福」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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