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伊東 ゆかり(いとう ゆかり、1947年4月6日 - )は、日本の女性歌手・女優。 本名:伊東 信子(いとう のぶこ)。 東京都品川区出身。1960年代から1970年代に掛けて一世を風靡した和製ポップス歌手の一人。2015年現在も、現役歌手として音楽番組への出演やコンサート活動のほか、女優としても活躍中。 == 略歴 == 幼少期から進駐軍キャンプで唄い始め、11歳のとき(1958年6月)「かたみの十字架/クワイ河マーチ(映画『戦場にかける橋』テーマソング」)でキングレコードより本格デビュー〔CD「伊東ゆかり/ラリパップ」(P-VINE 品番:PCD-1558 1997年8月25日発売)ブックレット解説より〕。これは美空ひばりのデビュー年齡(12歳)よりも早い。 その後、一時芸能活動を休止するが、渡辺プロダクションに移籍し活動を再開。ポップスを得意とした中尾ミエ、園まりと三人で“スパーク3人娘”を結成。『シャボン玉ホリデー』や『歌え!一億』に出演し、知名度を全国区にした。1967年にリリースした「小指の想い出」は爆発的なヒットとなり、その後も長く歌い継がれている。その後も「恋のしずく」「朝のくちづけ」「知らなかったの」と立て続けにヒット曲を飛ばした。この頃、巨人軍選手の柴田勲との交際が話題となり、一時は柴田との結婚話まで浮上した(詳細は柴田勲#交友関係を参照)。1969年には映画『愛するあした』に主演、また第20回NHK紅白歌合戦の紅組司会を務めた。 1970年、シングル「結婚」を最後に渡辺プロダクションから独立。1971年に「誰も知らない」がヒットするものの、大手プロダクションの後ろ盾を失った厳しさや、結婚・出産・離婚の経験。さらには“スパーク3人娘”の自然解散や“新三人娘”・“花の中三トリオ”等の後輩歌手が台頭してきたために、その後は一時的に低迷する。しかし、1977年から1981年までメイン司会を務めたTBSの音楽番組『サウンド・イン"S"』が一つの転機となり、“大人の歌手”として再評価されるようになる〔伊東は後番組の『Holiday』にも司会者として出演しているが、こちらは1年で終了した。〕。この番組は彼女が得意とする洋楽を中心とした構成で、時には自らもゲストとデュエットしつつ、エンディングで世良譲のピアノにのせスタンダード・ナンバーを歌い上げていた。同番組は2007年までCS放送のTBSチャンネルで再放送された。 この他にも単独での出演のほか、近年は上記の“スパーク3人娘”でのツアーの他、揃ってテレビ出演することも多くなってきている。 前夫は歌手で俳優の佐川満男で、その間に生まれた実娘が歌手の宙美(親権は伊東が持っている)。所属レコード会社はキングレコード⇒日本コロムビア⇒ビクターインビテーションレーベル⇒アルファレコード⇒キングレコード⇒ユニバーサルミュージック⇒BMG JAPANを経て、現在はフリー。所属事務所は小澤音楽事務所。2010年より、(株)夢みぃなhttp://yumemiina.com/所属。 2010年10月13日の『徹子の部屋』では、娘の宙美と共演し、さらに二人でデュエットソングも披露した。 歌手生活60周年を迎えた2013年4月20日には、渋谷の大和田さくらホールにてコンサートを開催。MJQ(マンハッタン・ジャズ・クインテッド)のデビッド・マシューズをプロデューサーに迎え、歌手生活60周年記念アルバム『メモリーズ・オブ・ミー』を同年4月3日にリリースした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊東ゆかり」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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