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伊東 ハンニ(いとうハンニ、1898年〈明治31年〉8月25日 -1969年〈昭和44年〉8月3日)は、日本の作家、相場師、社会運動家、本名松尾 正直(まつお まさなお)。『国民新聞』、雑誌『日本国民』のオーナー。川端康成、与謝野晶子等のプロデューサー。東洋のマタハリと呼ばれた川島芳子と親交あり。熱烈な愛国者であり、太平洋戦争を回避しようと日本国中を遊説し、東条英機暗殺を計画したため、軍部に詐欺容疑をねつ造され逮捕された。 ==略歴== ===作家としてデビュー=== 三重県鈴鹿郡加太村(現亀山市)に米穀商の三男に生まれる。父は米穀商の傍ら株の仲買人を手がけていたが、日露戦争後の相場の乱高下で損害を被り名古屋へ転居。小学校も中退し国民中学会の中学講義録で独学しながら、一方で隈本有尚によって紹介され始めた占星術にも興味を示し、東京大学の講義を受けた。 1912年(大正元年)に上京。暫くは職を転々とし蓄財に励んだ後、隈本の主宰する占星術研究会に入門。研究会に参加していた知識人や政治家・実業家などから知識を仕入れながら、懸賞小説などに応募し続けるも入選せず、一時は東京を出て大津や名古屋で新聞記者として勤めるが、金銭トラブルで辞めざるを得ず再び東京へ舞い戻って隈本の紹介で田川大吉郎の知遇を得る。1917年(大正6年)に『苦学十年』で作家としてデビューするが、あまり注目されなかった。だが第二作目の『独逸伯林城下の誓い』〔本書は、ヴィルヘルム2世の秘録という触れ込みで出版された樋口麗陽『朕が作戦』に対する反書の形式を取っていた。〕は、第一次世界大戦下の反ドイツ感情を煽情的に訴えたことから大好評を拍し、当時陸軍参謀次長だった田中義一から評価された。更に『熱血宰相ケレンスキー』、『苦学実験物語』、『生存競争とその血路』と続けて著作を出すが、作家としての評判は芳しくなく印税を相場に注ぎ込むも失敗。名古屋へ戻った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊東ハンニ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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