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伊武 雅刀(いぶ まさとう、1949年3月28日 - )は、日本の俳優、声優、ナレーターである。本名:室田 悟(むろた さとる)。東京都中野区出身。旧芸名:伊武 雅之(いぶ まさゆき)、伊武 雅乃、伊武 正己、伊武 専。現名の当初の読み方は「まさと」であった。血液型A型。身長175cm。現在の芸名の由来は、声優の井上瑤から伊武雅之時代に「名前の最後の字を2画の字にするといい」とアドバイスを受けたことによるもの。 == 来歴・人物 == 名古屋市にある私立東邦高等学校に進む。1学年下に後の俳優の奥田瑛二がいる。映画スターに憧れ、新聞で目にしたNHK名古屋放送局制作のテレビドラマ『高校生時代』(後の『中学生日記』)のオーディションを受け、同ドラマの1967年度放送分に森本レオと共に出演した(森本もこのドラマで俳優デビューしており親交が深い)。これが転機となり、本格的に俳優を志すため同校を中退して東京へ戻り、現代演劇協会付属現代演劇研究所「劇団雲」に入団〔リクナビNEXT ページ内「プロ論。 『伊武雅刀』」 2013年2月27日閲覧。〕。 しかし1年で同劇団をドロップアウトし、仲間と新たに旗揚げした劇団に移る。この頃はトイレ風呂共同の3畳一間に住んだり、痔を患いながら日雇いの工事現場で延々と廃材を運ぶ肉体労働で生計を立てるなど苦しい生活を経験した。 そんな折、渡辺貞夫のラジオ番組のパーソナリティのオーディションを受けたところ、本人はJazzなどの見識はなかったが声の良さを買われて合格、ラジオ出演とともにCMの仕事なども入るようになった。意欲的に仕事に取り組んだが声優としての仕事が多かった。『宇宙戦艦ヤマトシリーズ』のデスラー総統役や藤堂平九郎役などを演じていたのはこの頃である。しかし俳優への志は強く声優業は本意ではなかったという。 1976年末頃、ラジオで知り合った小林克也からラジオ番組への出演を持ちかけられる。これがラジオ大阪の桑原茂一プロデュースの番組「スネークマンショー」で、この中での小林との掛け合いによる過激で当時のタブーギリギリの内容のコントがリスナーや放送業界内でも評判となった。この番組は後にTBSラジオほかJRN系列で全国ネットとなり、さらにYMOによってコントがレコードに収録されるに及んで音楽業界にまで一気に知名度があがった。 以後は俳優としても活躍し、悪役や腹黒い役、重厚な刑事や署長、海軍の高級将校のみならず、多彩な声色でコミカルで明るい上司役など幅広い役柄を多くこなす。その多くがスネークマンショー内のコントで培われている。声優業は現在ではほぼ行なっていないが、テレビやラジオ番組内でのナレーションを数多く担当している。 現在、声優としての仕事はほとんど行っていないのは、俳優として高い評価を受けている事もあるが、声優時代に「仕事環境の劣悪さを体験して嫌気が差したから」である。〔INLIFE 伊武雅刀 〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊武雅刀」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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