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伊王島町(いおうじままち(旧 いおうじまちょう))は、長崎港外、長崎市(旧西彼杵郡)香焼町沖にある伊王島・沖ノ島を含んでいた町。自治体人口に占めるカトリック教徒の比率が日本で最も高かった。 この項目では、現在の、長崎市の地区としての伊王島についても記述する。伊王島地区(長崎市役所伊王島行政センター管内)の人口は756人(2013年6月末日現在)。 伊王島(面積1.31km²周囲7.1km)と沖ノ島〔沖之島とは、香焼島の沖という意味であり、伊王島よりは本土側にある。〕(面積0.95km²周囲5.1km)の2つの島を合わせて伊王島と呼ぶ。2つの島の間は幅数十mしかなく、2つの島を結ぶために栄橋・賑橋・祝橋の3つの橋が架けられている。本土からの交通は伊王島港(1丁目)と約10km離れた長崎港との間を旅客船のみで結んでいたが、2011年3月27日に長崎市本土と伊王島地区(沖之島:伊王島町2丁目)を橋で結ぶ伊王島大橋が開通した。 かつては炭鉱の島として栄えたが、閉山後は農漁業を兼業する。また、島全体が釣りの適地である。近年では、長崎市近郊のリゾート地として開発が進む。 == 沿革 == * 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行で伊王島村と沖ノ島村が合併し伊王島村となる。 * 1941年(昭和18年) - 炭鉱開鉱で人口が急増し始める。 * 1962年(昭和37年)5月20日 - 最盛期に町制(世帯数1748、人口7300)を施行し伊王島町となる。 * 1972年(昭和47年) - 閉山で急激に人口が激変した。 * 1989年(平成元年) - リゾート開業により人口減の歯止めと交流人口の拡大が見込まれていた。 * 2005年(平成17年)1月4日 - 長崎市に編入された。編入後は、全域が長崎市伊王島町(いおうじままち)となっている。 * 2011年(平成23年)3月27日 - 伊王島大橋開通により本土より車での乗り入れが可能となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊王島町」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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