翻訳と辞書
Words near each other
・ 伊狩鎧
・ 伊王島
・ 伊王島大橋
・ 伊王島村
・ 伊王島灯台
・ 伊王島町
・ 伊王野坦
・ 伊王野村
・ 伊王野氏
・ 伊王野資信
伊王野資友
・ 伊甚国
・ 伊甚国造
・ 伊田テクノス
・ 伊田光寛
・ 伊田助男
・ 伊田広行
・ 伊田村
・ 伊田正規
・ 伊田町


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

伊王野資友 : ミニ英和和英辞書
伊王野資友[いおうの]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 
: [の]
 【名詞】 1. field 
: [とも]
 【名詞】 1. friend 2. companion 3. pal 

伊王野資友 : ウィキペディア日本語版
伊王野資友[いおうの]
伊王野 資友(いおうの/いおの すけとも、生年不明 - 寛永10年(1633年))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将旗本。通称は又次郎。受領名豊後伊王野資信の次男。兄に資重、弟に資壽。室は大田原綱清娘。子に千本義等室、伊王野資房室。伊王野氏21代目当主。
伊王野氏は下野国那須氏の支族で那須七騎の一つ。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、東軍に属して下野大田原城大田原晴清服部正就福原資保らと籠城した。兄資重が上杉景勝勢を白河口の関山の戦いで破るが、負傷しその傷が元で死去したために家督を相続。戦後に本領の他に高根沢で2,000石加増され、2,738石の旗本となる。大坂の陣両陣にも従軍した。寛永4年(1627年)に伊王野館(お山城)より正福寺伽藍に居所を移した(「伊王野城主元祖手輸」伊藤文書)。
寛永10年(1633年)に病死。なお、資友が病に倒れた際に、井上新左衛門より養子(数馬)を迎えて娘婿とし伊王野資房と名乗らせ、資友死後に家督を継ぐも同年10月に死去。急遽、兄資重の嫡男・資直に家督を継がせようとするが、江戸幕府末期養子の禁により伊王野家は断絶となった。
== 関連項目 ==

* 那須衆

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「伊王野資友」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.