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伊藤 よし子(いとう よしこ、1905年12月30日 - 1991年3月24日)は、日本の政治家。日本社会党の衆議院議員(2期)。 == 経歴 == 愛知県挙母町(現・豊田市昭和町)生まれ。椙山第一高等女学校(現・椙山女学園高等学校)卒業後、佃与次郎が設立した佃速記塾で速記を学ぶ。また、東京外国語学校に一年間通った。ロシア飢饉救済募金の講演を聴きに来ていた東大生の伊藤好道と知り合い、1925年(大正14年)に結婚〔『東海新聞』1958年4月30日〕。 1927年(昭和2年)、労農婦人雑誌編集者らが集う社会科研究会に所属。山川菊栄に師事し、平林たい子、近藤真柄らと交流を結んだ。戦前は農村更生協会、満州移住協会の嘱託として農村問題に関わった。1952年に伊藤好道が衆院選に初当選してからは夫の秘書を務めた。 1956年(昭和31年)12月10日、伊藤好道が55歳の若さで急逝〔衆議院会議録情報 第025回国会 本会議 第17号 〕。旧愛知4区の夫の地盤は妻のよし子が継ぎ、1958年(昭和33年)5月22日に行われた第28回衆議院議員総選挙ではトヨタ自動車労組と国鉄労組の支援を受けて初当選〔『東海新聞』1958年5月10日〕。社会保障問題に情熱を傾けた。1960年の総選挙で落選するも1963年に返り咲いた。くらしの会全国連合会副会長、社会党婦人対策部長などを歴任した。 1991年(平成3年)3月24日、死去。享年85。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊藤よし子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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