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伊藤 伝之輔(いとう でんのすけ、生没年不詳)は、日本の武士、尊皇攘夷派の志士である。諱は忠信。名は傳之輔とも。 == 経歴 == 長門国萩城下松本(山口県萩市)に中間の子として生まれる。安政5年(1858年)6月頃、松下村塾にて吉田松陰に師事した。同年7月、杉山松助・伊藤利輔(博文)・山県小輔(有朋)らと上国の状況偵察の藩命を帯びて上京。在京中の9月、尊王攘夷派の公家大原重徳の西下策のために上京した野村和作(靖)に協力するも発覚、12月幽囚を命ぜられ、次いで翌年1月には岩倉獄に投獄される。万延元年(1860年)閏3月に出獄、再び上京して国事に奔走。文久2年(1862年)4月の寺田屋事件(寺田屋騒動)の際には、薩摩藩の尊王派志士有馬新七らを助けようとするも失敗する。元治元年(1864年)年7月の「奇兵隊血盟書」には、赤禰武人・山県狂輔(有朋)・時山直八らとともに名を連ね、花押・血判が残る。奇兵隊では輜重方・海陸運送方など兵站に関わり、戊辰戦争では北越官軍で参謀を務め、米沢攻略に加わるが、その後の事歴不明。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊藤伝之輔」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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