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伊藤喜之 : ミニ英和和英辞書
伊藤喜之[いとう よしゆき]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [これ]
 (int,n) (uk) this

伊藤喜之 : ウィキペディア日本語版
伊藤喜之[いとう よしゆき]

伊藤 喜之(いとう よしゆき、1981年10月1日 - )は、
愛知県一宮市出身のアーティスト、コンサルタント、作家。
中学からソフトテニスにのめり込み、高校は特待生として中京高校に入学。3年連続インターハイ出場しトップ選手として活躍するも、大学3年生の時点ではじめてソフトテニスにプロがないことを知り、プロの道を 断念。知人のデザイン制作会社で働くことに。
ここでの給料は月給1万円。学歴の低さと、知識不足を指摘され、雑用にあけるくれる 毎日を過ごす。
劣悪な環境に身を置く中、強い変革願望が芽生え、自己改革を決意。
トライアンエラーを繰り返し、独自の仕事論を作り上げ、月給も1万円から100万円にアップし、取締役に就任。
2010年、ダイヤモンド社よりこの仕事論をまとめた書籍『バカでも年収1000万円』を出版。2万部売れればベストセラーと言われるビジネス書業界で16万部の大ベストセラーを記録。翻訳版は韓国、中国、台湾でも発売。
これら実績の影響もあり、2012年には外務省より日本代表青年団に選抜されサウジアラビアへ派遣。
その後、10年勤めたデザイン制作会社から独立し、フランス、パリに渡ってアーティスト活動をスタート。全くの初心者ながら、パリの 一等地にギャラリーを構え、次々と作品を発表。
フランス大手のテレビ局「フランステレビジョン」でもトップニュースで扱われ、BBCにも出演。
毎月、パリと東京間を往復し、アーティスト活動と、複数企業のコンサルティング活動を半々で行っており、2015年1月から株式会社プロフェッサのコンサルティング活動もスタート。提供サービス、労働環境に対する意識改革を行い、6ヶ月で大幅な増収を実現。同年10月より代表取締役に就任し、現在に至る。
世界中のどこにいようと、何をしてようと既存の価値観では思いつかない容姿を続けているのも、特徴の1つ。
== 略歴==

*1981年10月1日愛知県一宮市に生まれる。
*幼少時からスポーツに明け暮れ、体育はいつも「学年トップ」。小、中学生時には生徒会など、ありとあらゆるポストに立候補するも落選。目立ちたがりの性格がわざわいし、逆に「いじめ」の対象となり、自殺を考える生活を送ることに。
*唯一誇れた特技ソフトテニスで「スポーツ特待生」として高校進学するも挫折。中学、高校では年間350日を部活動に当てたため、学力はゼロ。
*大学生時には一発逆転を図り、ベンチャー企業「アライブ株式会社」の立ち上げに協力するも、創業者に「バカなお前は生きる価値がない」と吐き捨てられ、会社を飛び出す。
*商社に営業として入社するも成績ふるわず、倉庫での出荷担当者になり1年半で退職。
*「全てに挫折した怒り」から、学歴や専門スキルがなくても、成功するためのメソッドを実践しながら開発。その後、そのメソッドを実証するため、かつて見捨てられたアライブ株式会社に出戻りし、たった3年で「平社員」から「取締役」に昇進。年収も200万円から1000万円に。
*現在では東証一部上場メーカーや、外資系大手レコード会社から指名が来る(広告戦略コンサルタントとして、数々のヒットを生み出している。
*2014年に入り、服装や髪型、身につける物にも大きな変化が加わり、以前に増して奇抜でアーティスティックな見た目へと変貌した。
*いろんな意味でやりすぎた結果、2014年7月、一切の予告なく突然の解任。アライブ株式会社をクビになる。が、ここで持ち前の節操のなさを爆発させ「クビじゃなく、独立と思い込もう」と一発奮起。
*文字通り無一文だったが、クビになる前に購入していたパリ行きの航空券のチケットを握りしめて覚悟の渡仏。しかし、8月のバカンスシーズンと重なり、何もやることがない、というオチ。仕方なく、バカンスシーズンでも比較的お店が空いているシャンゼリゼに向かうと、ルイヴィトン本店が目に入る。店内をうろうろしていると、突然マネージャーらしき人物から「君は何者だ?」と声をかけられ「もし、パリでアーティスト活動するのであれば、ルイヴィトンの工房とか使ったらどうか?」という驚きのオファーを受ける。「次はいつパリに来るんだ?」と聞かれ、すかさず「来月きます」と反射的に返答。この時、通訳をつとめた方から「パリの扉が開きましたね」と言われ、パリでのアーティスト活動を決意。
*しかし、翌月に行くと、案の定ルイヴィトンの工房は使えなかった。が、クビになった直後にオファーを受けたこの一連の事柄を通して「神様からのゴーサインだった」と語っている。
*2014年10月にパリのマレ地区56 Rue de Turenne にオリジナルのギャラリーをオープンさせた。
*アーティスト半分、コンサルタント半分という特殊な仕事のスタイルを送っている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「伊藤喜之」の詳細全文を読む




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