|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 藤 : [ふじ] 【名詞】 1. wisteria
伊藤 嘉昭(いとう よしあき、1930年3月30日 - 2015年5月15日)は日本の生物学者。専門は昆虫学、進化生物学、生態学。寺本英と共に日本に社会生物学/行動生態学を導入し、日本の生態学と動物学を発展させた。 == 経歴 == 東京生まれ。1950年に東京農林専門学校(現・東京農工大学)を卒業し農林省に入省する。1950年代は日本共産党に接近し、民主主義科学者協会(民科)の雑誌などにしばしば寄稿するなど民科系科学者の有力な論客だった。一方で、民科生物学部会で主流を占めたルイセンコ遺伝学やヤロビ農法からは距離を置く独自の立場を取っていた。 1952年に血のメーデー事件に参加した際、警官隊との衝突で負傷し逮捕される。同事件で起訴され農林省を休職。休職期間中も労働組合の支援を受け、研究所に通い研究を続けた。1960年「ムギのアブラムシ類の個体群増殖ならびに棲みわけに関する生態学的研究」で京都大学理学博士。 1969年に復職し、1970年に無罪判決が確定。1970年代には沖縄県でウリミバエの駆除事業を指導。不妊化処理した雄個体を放散する方法を実用化して、ウリミバエ駆除への道筋を確立した。 若いころ面識の無かった今西錦司を訪ねて指導を受ける。森下正明などの知己も得、生態学への道を志す。この頃から今西は欧米の個体競争中心の進化観から離れ、共生と全体論的進化観に傾く。1978年に名古屋大学助教授。同時期に執筆した『比較動物学』は今西の影響を強く受けている。しかし1970年代末から80年代初頭には欧米で起こった社会生物学を受け入れた。1982年に寺本英を代表として文部省の特定研究プロジェクト「生物の適応戦略と社会構造」が発足すると伊藤は動物班の代表となった。このプロジェクトには後の日本の生態学、進化学を牽引する山村則男、巌佐庸、河田雅圭、辻和希、遠藤彰、上田恵介、佐倉統、長谷川寿一、長谷川真理子、嶋田正和、粕谷英一らも参加した。海外からはW.D.ハミルトン、M.J.ウェスト=エバーハード、J.クレブスらを招いた。このプロジェクトは日本の生態学と進化生物学を大きく発展させる転機となった。 1988年に名古屋大学教授、1993年定年退官、名誉教授、沖縄大学教授。1998年退職。その後も行動生態学/社会生物学のテキストなどを執筆しているほか、一般向け、学生向けの著作が多い。日本昆虫学会名誉会員である。2015年5月15日、肝不全により死去。85歳没〔「元沖大教授の伊藤嘉昭さん死去 ウリミバエ根絶を指揮」 『沖縄タイムス』 2015年5月15日。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊藤嘉昭」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|