|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 藤 : [ふじ] 【名詞】 1. wisteria ・ 壇 : [だん] 【名詞】 1. (1) platform 2. podium 3. rostrum 4. (2) (arch) mandala
伊藤 壇(いとう だん、1975年11月3日 - )は、北海道札幌市出身のサッカー選手、モデル。ポジションはミッドフィールダー。 アジア諸国を転々とし、現在までに日本、シンガポール、オーストラリア、ベトナム、香港、タイ、マレーシア、ブルネイ、モルディブ、マカオ、インド、ミャンマー、ネパール、カンボジア、フィリピン、モンゴル、ラオス、ブータンの18の国・地域のリーグでプレーしている〔伊藤壇、カンボジアリーグ入り - スポーツ報知,2012年7月7日(2012年7月7日時点のアーカイブ)〕〔元Jリーガー、アジアでプレー 16カ国、「懸け橋に」 - 共同通信,2013年5月1日〕〔伊藤壇、ブータンのチームと契約!国と地域18番目 - 報知新聞,2015年2月28日〕。 == 来歴 == 大学卒業後の1998年にブランメル仙台(現ベガルタ仙台)に入団。2年間プレーするが戦力外通告を受けた。退団後は故郷に戻り、地元の社会人チームに所属していたが、サッカー雑誌に載っていたシンガポールサッカー事情の記事を読んで一念発起、海外へと渡った。 渡航後しばらくは現地の少年サッカーチームのコーチを務めたが、2001年にウッドランド・ウェリントンFCの所属選手となり、助っ人外国人選手として活躍。 2004年、香港・傑志蹴球隊所属時代に香港リーグ選抜に選出され、カールスバーグ・カップに出場した。プレシーズンマッチではイタリアの名門ACミランと対戦、勝利している。2005年に所属したマレーシアのペナンでは、「Tsunami」のニックネームで親しまれた。2006年にはブルネイオールスターゲームでMVPを獲得している。 2009年から2010年にかけてIリーグのチャーチル・ブラザーズでプレー。2011年、ミャンマーナショナルリーグ (MNL) のラカプラ・ユナイテッドに移籍。さらに同シーズン中にネパールリーグ(MMC)のマナン・マルシャンディFCに移籍した。 2013年度は2月よりUFLのグリーン・アーチャーズ・ユナイテッドでプレーし、前期終了の4月まで8試合に出場した。契約延長の打診も受けたが、「親日の国で興味があり、以前から選択肢の中にあった」というモンゴル・リーグのエルチムに移籍することとなった〔アジア転戦 16番目はモンゴル 札幌出身の元Jリーガー 伊藤さん - 北海道新聞,2013年4月19日〕。 2014年からはラオス・リーグ初の日本人選手として、LAO TOYOTAに移籍〔アジア転戦、17番目はラオス 札幌出身の元Jリーガー伊藤 - 北海道新聞,2013年12月24日〕。その後出番を求めて、同リーグのYotha F.C.にレンタル移籍〔レンタル移籍 - 伊藤壇オフィシャルブログ,2014年5月7日〕。 2015年、ブータンのティンプーFCと契約、日本人プロ契約選手第1号となった〔。 名門世家加義在籍時には試合開始直後Kick off goalを記録。ギネス記録達成かとマカオ、香港などで大きく取り上げられた(実際の映像がビデオカメラのみであり不認定)。 香港の新聞や地元札幌の雑誌DominGoなどにコラムを掲載中。サッカーを通してアジアで得た貴重な経験を多くの人々に伝えている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊藤壇」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|