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爆羅騎 源氣(ばらき げんき、1994年5月10日 - )は、埼玉県所沢市出身で式秀部屋に所属する現役大相撲力士。本名は伊藤 爆羅騎(いとう ばらき)。身長164cm、体重110kg。最高位は東幕下58枚目(2014年1月場所)。 実兄は立浪部屋所属の現役大相撲力士である羅王希望〔ちなみに羅王も身長173cmの小兵である。〕。得意手は押し。相撲振りは基本的に遅攻の部類に入るが大型力士が相手の場合は早めに勝負を決める傾向がある。 == 人物 == 埼玉県にフィリピン人の母を持つハーフとして生まれる。「爆羅騎」の名前は「強い人間になってほしい」という父親の願いから、1972年に公開されたマフィア映画「バラキ」にちなんで名付けられた〔大相撲:背伸び上等!1メートル60「爆羅騎」“盛って”合格 、毎日新聞、2012年12月27日。〕〔ちなみに実兄の羅王丸(本名:伊藤羅王)の名前は「北斗の拳」のラオウにちなんでいる。〕。小学3年のときに入間少年相撲クラブで相撲を始める。小学4年のときに両国国技館で相撲観戦していたところ、当時北の湖部屋の現役力士だった北桜に部屋見学に誘われた。見学の当日は大雨で電車のダイヤが乱れ、予定より1時間以上遅れて部屋に着いたが、北桜は「自分が呼んだから」と部屋の外で待ち続けていた。その姿を見た父親は将来爆羅騎が大相撲に入門する際、北桜を師匠にすることを即決したという〔160センチ爆羅騎白星デビュー 、デイリースポーツ、2013年1月16日。〕。 中学3年までの4年間は柔道も経験したが、中学卒業後は福岡県の希望が丘高等学校に相撲留学し相撲に専念することとなる。2012年(高校3年)の高校総体では個人32強・団体3位、国体では個人16強の成績を残した。同年12月22日、引退して年寄・小野川を襲名していた北桜が部屋を継承することが前日決まったばかりの式秀部屋に入門。26日に行われた2013年1月場所の新弟子検査では160cmの身長がネックになったことから、3か月伸ばした髪の毛をびん付け油で逆立てる、小野川に「身長が伸びるマッサージ」を受ける、身長計測時に背伸びをするなど様々な手を打った結果、基準ギリギリの「167cm」として合格となった〔。本名の爆羅騎をそのまま四股名にし、下の名前は小野川が電車の中で見た「茨城 元気」のキャッチフレーズを気に入っていたこと〔「いばらき げんき」で「ばらき」がそのまま含まれている。〕と字画から「源氣」に決定した〔ミラクル新弟子・伊藤爆羅騎、1日で7センチ伸びた!?、スポーツ報知、2012年12月27日。〕。小野川は「秀樹感激みたいに響きがいいじゃないですか」ともコメントしている。 小野川は2013年1月4日付で年寄・式秀を襲名し式秀部屋の師匠となった。2013年1月場所の新弟子は話題性のある力士が多かったが、爆羅騎はその身長と珍名ともとれる四股名からその中でも大きな注目を集めた。この場所は前相撲で3勝2敗の数字を残し、3月場所は東序ノ口10枚目で6勝1敗の好成績を収めた。続く5月場所は東序二段24枚目に昇進し、2場所目にして早くも部屋の日本人力士としては最高位となったが、この場所も5勝2敗と勝ち越して7月場所では三段目に昇進した。同年11月場所では西三段目90枚目で土俵に上がり、仕切りで腰を高く構える工夫が実って立合いの出足が冴え渡り7戦全勝の好成績を果たした〔 デイリースポーツ 11月22日(金)16時42分配信〕。同じくこの場所7戦全勝で幕内経験者の寶千山との優勝決定戦に敗れて三段目優勝はできなかったが、翌2014年1月場所では幕下に昇進。しかし、この場所は幕下の壁に跳ね返されてしまい、7戦全敗を喫してしまった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「爆羅騎源氣」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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