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伊藤 華英(いとう はなえ、1985年1月18日 - )は、日本の元水泳選手。セントラルスポーツ研究所社員。マネージメント会社は芸能事務所サムデイ〔サムデイ(伊藤華英) 〕。 == 経歴 == 埼玉県大宮市(現さいたま市)出身、小さい頃から実家近くにある岩槻市(現さいたま市岩槻区)にあるセントラルスポーツのスイミングスクールに通い、力をつけてきた。 1997年、東京成徳大学中学校に入学。2000年、東京成徳大学高等学校に入学。以後、高校総体、国体では東京都代表として出場、寺川綾と並ぶ日本女子水泳界のアイドル的存在になった。寺川からは伊藤のことをハナと呼ばれている。 2003年、日本大学に進学。翌2004年4月のアテネオリンピック代表選考レースで3位に終わりオリンピック出場を逃した。大学時代は寺川が大学選手として大会に出場していたのに対し、伊藤は大学大会以外では「セントラルスポーツ関係者」として出場していた。 2007年日大卒業後はクラブに残り、そのまま研究所所属の正社員となって、選手育成のためのプログラム開発などに携わりながら北京五輪を目指した。そして2008年4月17日の日本選手権女子100m背泳ぎで日本新記録をマークして優勝。規定により自身初の五輪代表の座を獲得した。 伊藤はこの種目、予選と準決勝ではハイレグカットではなくロングスパッツ式の水着を着用して出場したが、背泳ぎで日本の頂点に立つ中村礼子には及ばなかった。そこで、決勝で従来のハイレグカットに戻したところ、優勝・初の五輪代表選出となったばかりでなく、前日の予選で中村が出した日本記録(59秒96)も更新した。 しかし5月17日の日本大学と中央大学の対抗大会ではレーザー・レーサーを着用し、100m背泳ぎで1分0秒59の好成績をマークした。その後、欧州遠征に行き、レーザーレーサーを着て200m背泳ぎで自己ベストの2分08秒80を記録した。 北京オリンピックでは100mで1分00秒18の8位、200mで2分09秒86の12位となった。 大学卒業後、伊藤は研究所の拠点が千葉に移ったこともあり、選手登録先も東京都から千葉県に変更した。一方で、寺川は大阪府から東京都に登録先を変えた。 北京オリンピック後は調子が出なくなったことや、寺川が再び盛り返してきたことなどもあり、背泳ぎでの代表入りを事実上諦め活動の軸足を自由形に移した。伊藤は2010年の日本選手権では自由形一本に絞り、同種目でパンパシフィック選手権代表の座を獲得する。しかし広州アジア大会、翌年の世界選手権でも満足のいく結果を残すことはできず、寺川と念願のアベック出場となった2012年のロンドンオリンピックでも200m自由形で決勝出場を逃すなど、同五輪で銅メダルを獲った寺川とは対照的に世界の舞台で大きな実績を残すことはできなかった。 結局、同年のぎふ清流国体を最後に現役を引退した。 2013年度日本オリンピック委員会「オリンピックふれあいアンバサダー」のメンバー〔日本オリンピック委員会「オリンピックふれあいアンバサダー」プロフィール 〕になった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊藤華英」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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