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伊藤 謹二(いとう きんじ、1901年(明治34年)4月〔『人事興信録』第14版 上、イ57頁。〕 - 1968年(昭和43年)9月3日〔『朝日新聞』(東京本社発行)1968年9月3日夕刊、11面の訃報より。〕)は、日本の内務・厚生官僚。官選石川県知事、厚生次官。 ==経歴== 広島県出身。伊藤辰吉の二男として生まれる〔。第六高等学校を卒業。1922年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1924年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。内務省に入省し岡山県属となる〔〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』234頁。〕。 以後、北海道庁事務官、岩手県書記官・学務部長、兵庫県書記官・学務部長、内務省神社局指導課長、神祇院教務局指導課長、関東局司政部長、厚生省保険局長、同健民局長などを歴任〔〔『新編日本の歴代知事』463頁。〕。 1945年10月、石川県知事に就任。1946年6月、引揚援護院次長に転じた〔。1946年7月、厚生次官事務取扱、翌月、厚生次官に就任し1948年3月まで在任し退官した〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』71頁。〕。その後、日本赤十字社副社長、社会福祉事業振興会会長、日本児童福祉給食会理事長〔などを務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊藤謹二」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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