翻訳と辞書
Words near each other
・ 伊達娘恋緋鹿子
・ 伊達孝時
・ 伊達安芸
・ 伊達宗保
・ 伊達宗信
・ 伊達宗倫
・ 伊達宗倫 (男爵)
・ 伊達宗倫 (登米伊達氏)
・ 伊達宗元
・ 伊達宗充
伊達宗克
・ 伊達宗利
・ 伊達宗勝
・ 伊達宗和
・ 伊達宗城
・ 伊達宗基
・ 伊達宗孝
・ 伊達宗定
・ 伊達宗実
・ 伊達宗実 (安房守)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

伊達宗克 : ミニ英和和英辞書
伊達宗克[だて むねかつ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

伊達 : [だて]
  1. (adj-na,n) dandyism 2. vainglorious 3. showy 4. gallantry 
: [たち, たっし]
  1. (n-suf) plural suffix 
: [そう, しゅう]
 【名詞】 1. sect 

伊達宗克 : ウィキペディア日本語版
伊達宗克[だて むねかつ]
伊達 宗克(だて むねかつ、1928年(昭和3年)8月18日 - 1988年(昭和63年)1月15日)は日本のジャーナリスト
宇和島藩主家伊達氏の一族として、愛媛県に生まれる。旧制松山中学校日本大学芸術科を経て同大法学部新聞学科を卒業。1954年8月、東京日日新聞社会部からNHKに移り放送記者となる。
1970年(昭和45年)11月25日に、交流のあった三島由紀夫から間接的に、サンデー毎日の記者だった徳岡孝夫と共に遺書と檄文を受け取り、三島事件の目撃者となった。関連の編著書に『裁判記録「三島由紀夫事件」』(講談社、1972年)がある。1984年(昭和59年)に徳岡と共に、瑤子夫人にインタビューを行い、月刊誌「諸君!」1985年1月号に掲載した。
皇室担当記者として『天皇の外交』(現代企画室、1975年)を出し、1980年4月に寬仁親王の婚約、1983年(昭和58年)4月には容子内親王の婚約をスクープ。
昭和天皇からも信頼されており、『素顔の天皇陛下』(山手書房、1983年)がある。1984年(昭和59年)に放映された「NHK特集 皇居」の中心スタッフとして取材折衝に当たった。
1985年(昭和60年)8月、NHKを定年退職。その後、解説委員となったが、在職中に死去した。
== 著書 ==

*『裁判記録 「三島由紀夫事件」』 講談社 1972年。編著
*『天皇の外交』 現代企画室 1975年
*『日本の勲章 逸話でつづる百年史』 りくえつ 1979年
*『放送記者』 りくえつ 1980年 
*『素顔の天皇陛下』 山手書房 1983年





抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「伊達宗克」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.