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伊達宗高 : ミニ英和和英辞書
伊達宗高[だて むねたか]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

伊達 : [だて]
  1. (adj-na,n) dandyism 2. vainglorious 3. showy 4. gallantry 
: [たち, たっし]
  1. (n-suf) plural suffix 
: [そう, しゅう]
 【名詞】 1. sect 
: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 

伊達宗高 : ウィキペディア日本語版
伊達宗高[だて むねたか]

伊達 宗高(だて むねたか)は、江戸時代初期の武士仙台藩初代藩主・伊達政宗の七男。村田伊達氏当主。
== 生涯 ==
慶長12年(1607年)、仙台藩主・伊達政宗の七男として仙台にて生まれる。幼名は長松丸
慶長18年(1613年)、柴田郡小泉を領していた一族・田手宗実(伊達氏庶流)の養子として送り込まれ、田手氏の名跡を継いだ。この時、田手氏庶流を含む宗実の家臣団の一部が宗高の家中に編入され、宗実ら元々の田手氏は小泉氏へと改めさせられたが、宗実の所領は宗高には引き継がれず(宗実の所領はそのまま安堵され、のち実子の高実に引き継がれた)、新たに柴田・刈田2郡に合わせて3万石を拝領し、村田城を居城とした(村田伊達氏)。
元和9年(1623年)4月16日、刈田岳が噴火し、噴石・降灰等により領内に甚大な被害が生じた。年が明け寛永元年(1624年)になっても噴火は収まる気配を見せなかったので、政宗は人の易者・王翼に命じて刈田岳で祈祷を行わせることにし、宗高を藩主名代として同行させた。10月5日、宗高と王翼は刈田岳の火口付近に祭壇を設け、噴煙と降下物に曝されながらもこれに耐えて祈祷を行った。それから程無くして噴火が終息に向かったため、人々は宗高の真心が天を動かしたのだと噂した。
寛永3年(1626年)閏4月、兄の忠宗宗泰と共に江戸に上り大御所・徳川秀忠と将軍・徳川家光に拝謁。5月には家光参内への随従を命じられた政宗と忠宗に伴われて上洛し、従五位下・右衛門大尉に叙任された。しかし、帰国を前にして宗高は疱瘡に罹り、治療の甲斐も無く8月17日に宿所の二条要法寺にて客死した。享年20。
9月7日、京から村田へ戻った宗高の遺骨は龍島院に埋葬され、同日家臣10名が殉死した。
*福地右近(家老)
*赤坂景光(近習)
*高橋清三郎(近習)
*日下十蔵(奥小姓)
*菅野権七(小姓)
*有見勘平(小姓)
*佐藤直成(小姓)
*油井五郎助(小姓)
*御阿知也(乳母)
*斎丹波(御阿知也の夫)
殉死者の墓は宗高廟への参道の両側に配置されている。龍島院山門の傍に立つ「御阿知也桜」はこの時に御阿知也が植えたものと伝えられている。また寛永4年(1627年)には殉死者を荼毘に付した場所に「御荼毘塚」と名付けられた五輪塔が建てられ、高橋清三郎の辞世の句が刻まれた(「玉の緒の絶えなんことは惜しからじ君の情けを思ひ合わさば」)。
宗高に子はおらず、村田伊達氏は無継断絶となった。このため遺領3万石は収公され、小泉(田手)実次・小泉(田手)実元ら宗高の家臣団も仙台本藩に帰属している。また、村田伊達氏の創設にともない田手の名跡を譲り渡していた小泉高実(宗実の子。宗実は寛永元年(1624年)に死去)は、村田伊達氏の断絶をうけて田手の名字に復している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「伊達宗高」の詳細全文を読む




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