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伊達 村良(だて むらよし〔『寛政重修諸家譜』では、読みをむらかたとする。〕)は、江戸時代中期の武士。陸奥仙台藩第5代藩主・伊達吉村の八男。仙台藩一門第五席・登米伊達氏第9代当主。11代藩主斉義・12代藩主斉邦の祖父。 == 生涯 == 寛保3年(1743年)4月29日、陸奥仙台藩第5代藩主・伊達吉村の八男として生まれる。幼名は政五郎。 宝暦2年(1752年)、同母兄の登米伊達氏当主・伊達村勝が陸奥一関藩主・田村村顕の養嗣子として迎えられることになったため、村勝に代わって登米伊達氏第9代当主となる。家禄平均法を施行し、財政の立て直しを行った。養蚕の奨励、琵琶湖からの鯉や鮒の移入なども行った。 明和3年(1766年)、薩摩藩主・島津重豪への対抗意識から猟官運動に狂奔していた甥の藩主・伊達重村が、幕閣の歓心を買うために手伝普請を積極的に引き受け、その費用を捻出するため家禄30石以上の藩士に年貢米の一部上納を命じた。村良はこれを中止するよう諫めたが、重村の勘気を蒙って50日間の蟄居を命じられた。 安永2年(1773年)の安永疑獄に際しては、岩谷堂伊達村富から計画への参加を持ちかけられたがこれを拒否。事件発生を知ると直ちに居館の登米要害から仙台へ上り、重村に事件の再審査を請求した。 天明6年12月2日(1787年1月20日)死去。享年44。長男の村資は兄の養子として天明2年(1783年)に一関藩主となっており、四男の村幸が家督を相続した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊達村良」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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