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伊達 村隆(だて むらたか)は、江戸時代の陸奥仙台藩一門第六席・岩谷堂伊達氏第4代当主。 == 生涯 == 寛文3年(1663年)、岩谷堂伊達氏第3代当主・伊達宗規の子として生まれる。幼名は藤徳。寛文13年(1673年)に元服し、陸奥仙台藩主の伊達綱基(のちの綱村)より一文字拝領して数馬基貞(もとさだ)と名乗る。 貞享2年(1685年)2月、父宗規の死去により家督と知行4,230石を相続し、岩谷堂邑主となる。貞享3年(1686年)、涌谷伊達宗元、村元親子と共同で、専制政治を行う藩主・綱村に諫言書を提出し、綱村の側近の古内重直を罷免させる。貞享4年(1687年)、綱村の妹・清姫と結婚する。貞享7年(1690年)、新田を加増され知行5,015石となる。貞享9年(1692年)1月、再び綱村より一文字拝領し、岩城氏代々の通字である「隆」を用いるよう命を受け、村隆と名乗る。 元禄6年(1693年)、再び綱村に対して、一門7家8名(石川宗恒、伊達宗氏、伊達宗元、伊達村隆、伊達宗親、白川宗広、三沢宗直、伊達村元)連名で諫言書を提出した。元禄16年(1703年)、綱村が隠居することとなり、9月、新藩主・吉村の家督相続御礼言上の際に、江戸城で将軍・徳川綱吉に拝謁する。 正徳5年(1715年)、出羽亀田藩主・岩城秀隆より、仙台藩に、岩城常隆の曾孫である村隆の子を養子にと求められたが、村隆の実子・辰之丞は早世しており、代わりに、藩主・吉村の実弟・宮床伊達村興の次男・久之助(岩城隆韶)の成長を待って、村隆の養子とした上で岩城家に養子入りする約束となる。しかし、秀隆が幕府より駿府加番を命じられ、仮養子が必要になったため、岩城家の希望で、幕府に久之助を秀隆の仮養子として届けた。 享保14年(1729年)8月27日死去。享年67。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊達村隆」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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