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佐藤 信彦(さとう のぶひこ、1902年5月 - 1977年2月3日)は、慶應義塾大学文学部教授などを務めた、日本の国文学者〔阿部,1977,p.347.〕。 == 経歴 == 彦根藩出身の軍人であった父の任地だった島根県那賀郡浜田町(後の浜田市の中心部)で生まれ、宮城県立仙台第一中学校(宮城県仙台第一高等学校の前身)を経て、東京の私立日本中学校(日本学園中学校・高等学校の前身)に転じ、校長だった杉浦重剛の薫陶を受けた〔。1920年に卒業して、慶應義塾大学文学部予科に入学し、1924年には本科国文学科に進んで、折口信夫の指導を受け、川合貞一や田中豊蔵に学ぶ〔。1927年に大学を卒業して予科の国語教師に採用され、その後、1943年に藤山工業図書館の事務監督・主事、1945年から1947年にかけて工学部事務監督を兼任となり、戦中戦後の混乱期に、大学行政の一翼を担った〔。 1949年に文学部教授となり、定年退職した1970年3月まで、その任にあり、さらに1976年まで大学院で教鞭を執った〔。 在職中には、折口の後を受けて国文学科の主任教授を長く務めたほか〔、1964年4月から1968年9月まで斯道文庫の文庫長を務めた〔阿部,1977,p.349.〕。 大学外でも、1952年6月から1957年7月まで大学基準協会事務局長を務めたほか、大学関係の諸団体の役職や、文部省の委員などを多数務めた〔阿部,1977,p.348.〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐藤信彦 (国文学者)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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