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伏見扇太郎 : ミニ英和和英辞書
伏見扇太郎[ふしみ せんたろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふく]
  1. (n,vs) stoop 2. bend down 3. crouch 4. lie down 5. prostrate oneself 6. fall prostrate 7. hide 8. yield to 9. submit to
: [おうぎ]
 【名詞】 1. folding fan 

伏見扇太郎 : ウィキペディア日本語版
伏見扇太郎[ふしみ せんたろう]
伏見 扇太郎(ふしみ せんたろう、1936年2月19日 - 1991年頃)は、日本俳優東京市(現在の東京都)出身。本名は船越 貞雄(ふなこし さだお)。
== 略歴 ==
門閥外ながら歌舞伎出身。二代目 中村又五郎の門弟だった。昭和29年(1954年)、中村又一の名で松竹の『びっくり五十三次』に端役で出ていたところを東映にスカウトされ、翌30年(1955年)に伏見扇太郎として、東映より『月笛日笛』でデビュー。その後『まぼろし小僧の冒険』で主演をやって以降、数々の時代劇映画に主役及び助演として出演。主に2本立ての映画の2本目として編成された“東映娯楽版”や子供向け作品の主役だったが、華奢な体つきと、女形も出来るような容姿で大変な人気を集めた。
中村錦之助大川橋蔵東千代之介里見浩太郎らと共に子供達に人気の若手スターとして将来を大いに嘱望されていた。
しかし、1960年代に入って以降は伸び悩み、後輩である里見の主演作品の助演や、一般作品の端役にまでそのランクを下げ〔“斬られ役”の一人として東映全盛期の一端を支えた福本清三の著書(共著による聞き書き本)『どこかで誰かが見ていてくれる』(2003年、集英社文庫・P.292、ISBN 4087476510)には、伏見について「あんなに大スターやったんやけど、最後は私ら(大部屋俳優)と同じような仕事をされてましたからね。さぞ、つらかったと思いますわ。心の痛みが想像できますわ」という記述がある。〕、1965年にはスクリーンから姿を消した。その背景には黒澤明監督作品のリアリズムな時代劇が主流になり、東映もそれに同調し、伏見の華奢な体で剣戟の迫力があるのが不自然であるという事で受けなくなったという一面もある。
1968年に結核となり、俳優を完全廃業。その後は東映が経営するボウリング場で働いたとする話や、地方回りの大衆劇団に出た、バーを経営していた、またラーメン屋の屋台を動かしていたなど、没落の話題しか聞こえてこなくなった。1983年11月26日高知県で刃傷沙汰を起こし逮捕されたりもした。
その後、20数年ぶりに映画に出演し少し話題に上ったが、映画はヒットせず、1985年に妻を殺害され、晩年は気の毒な境遇だったという。その出演作品「玄海つれづれ節」では役名も伏見扇太郎そのままとして登場し、スターだった頃の映画を再び上映したいと願う若松の映画館主として登場していたのもなにか惨め過ぎる感があった。
南正時著作の『オジサンの玉手箱』によると「風の便りによると、自ら命を絶った……」いう記述がある〔永田哲朗による「“新諸国物語”に始まり“新諸国物語”に終わった『東映娯楽版』」(『東映キネマ旬報』2009年春号に掲載)には「いつの間にかひっそりと世を去った」という記述がある。〕ことからすでに故人であるが、死去年は不明。1991年に死去したという説や病死説もあるが、詳細は不明である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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