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伏見 晁(ふしみ あきら、1900年6月18日 - 1970年9月27日〔伏見晃 、『講談社 日本人名大辞典』、講談社、コトバンク、2010年3月25日閲覧。〕)は、日本の脚本家である。新漢字表記伏見 晃(読み同)、本名は野村 晁(のむら あきら)〔、野村浩将との共同名錦 美奈仁(にしき みなひと)でも活動した〔錦美奈仁、allcinema ONLINE, 2010年3月25日閲覧。〕。 == 人物・来歴 == 1900年(明治33年)6月18日、愛知県名古屋市に「野村晁」として生まれる〔。 東京に移り、旧制・明治大学に入学するが、中途退学する〔。 松竹キネマ(現在の松竹)が東京・蒲田に開いた松竹蒲田撮影所に入社、1926年(大正15年)、蔦見丈夫監督の『鉄腕』の脚本を執筆して脚本家としてデビューする〔伏見晁、日本映画データベース、2010年3月25日閲覧。〕。1929年(昭和4年)には小津安二郎監督の『学生ロマンス 若き日』にオリジナル脚本を提供し、1930年(昭和5年)には小津の原作・監督による『落第はしたけれど』を脚色した〔。 1931年(昭和6年)には、同撮影所初のトーキー、五所平之助監督の『マダムと女房』に参加、北村小松が執筆したオリジナルシナリオに「ギャグマン」として関わった〔。1933年(昭和8年)には、川端康成の小説『伊豆の踊子』の最初の映画化である五所平之助監督の『恋の花咲く 伊豆の踊子』を脚色した〔。 1936年(昭和11年)には同撮影所が大船に移転になり、伏見もともに異動した〔。前年に公開された五所平之助監督の『人生のお荷物』が蒲田での最後の伏見が手がけた作品であり、斎藤寅次郎監督の『女は何故怖い』が松竹大船撮影所での最初の作品となった〔。 第二次世界大戦中も大船で脚本を書き、1944年(昭和19年)、斎藤寅次郎監督の『敵は幾万ありとても』の脚本を山形雄策とともに執筆し、初めて東宝製作の作品を手がけた〔。伏見にとっての終戦後第1作は、当時松竹京都撮影所長だったマキノ正博(のちのマキノ雅弘)が製作・監督した同撮影所の戦後第1作『千日前附近』で、長谷川幸延の原作を依田義賢と共同で脚色した〔千日前附近 、日本映画データベース、2010年3月25日閲覧。〕。 1950年代には、斎藤寅次郎の監督作のシナリオを書き、大映京都撮影所で映画化され、1957年(昭和32年)、同撮影所が製作した斎藤監督の『南蛮寺の佝僂男』〔南蛮寺の佝僂男 、キネマ旬報映画データベース、2010年3月25日閲覧。〕の脚本を書いた後は、映画脚本の一線を退いた〔。 1970年(昭和45年)9月27日、死去した〔。満70歳没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伏見晁」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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