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会津泉 : ミニ英和和英辞書
会津泉[あいづ いずみ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かい]
  1. (n,n-suf,vs) meeting 2. assembly 3. party 4. association 5. club 
会津 : [あいづ]
 (n) Aizu Area

会津泉 : ウィキペディア日本語版
会津泉[あいづ いずみ]
会津 泉(あいづ いずみ、あいず いずみ、1952年 - )は、日本情報社会学研究者。多摩大学情報社会学研究所教授・主任研究員、公益財団法人ハイパーネットワーク社会研究所理事長、所長。
== 経歴 ==
宮城県仙台市に生まれ〔、神奈川県逗子市に育つ。1971年栄光学園高等学校を卒業後、伝習館訴訟の救援活動などに従事した〔。その後、印刷会社に勤め、転職を重ねて欧文印刷で日本国外向けの広告・広報の営業などに従事する〔〔。業務の中で、コンピュータ関係のマニュアル制作を受けるようになり、1985年に発表されたApple IIcの日本語マニュアル「はじめてのあっぷる」の制作に従事した〔。
1985年に独立して、アメリカ合衆国における草創期のパソコン通信ネットワークの実態調査に取り組み、1986年に株式会社ネットワーキングデザイン研究所を設立して、日本におけるパソコン通信の普及に取り組み、特に大分県における取り組みなどに深く関わる〔。
1991年国際大学GLOCOM企画室長〔。1993年、財団法人ハイパーネットワーク社会研究所研究企画部長を兼任〔〔。1996年情報処理学会の学術雑誌『情報処理』に発表した「インターネットの進化発展の意味」が、情報処理学会1996年Best Author賞を受賞した〔。佐々木俊尚は会津について、「1990年代には「インターネットの伝道師」とも呼ばれ」たと述べている〔。
1997年から2000年にかけては、活動の拠点をマレーシアクアラルンプールに移し、1998年からはアジア太平洋インターネット協会(APIA)事務局長を務め、アジア地域におけるインターネット関係の普及実践や研究にあたる〔。
2000年に国際大学GLOCOM主幹研究員となり、2002年にハイパーネットワーク社会研究所副所長を経て、2004年6月に多摩大学情報社会学研究所主任研究員、2008年に同教授〔。2011年には、情報支援プロボノ・プラットフォーム (iSPP) の設立に参加し、代表理事のひとりとなった。
2013年5月より2015年3月まで、公益財団法人に移行したハイパーネットワーク社会研究所の理事長・所長を勤めた〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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